基礎生物学研究所
2016.08.05
血液を始めとする体液中のNaレベルが恒常的に高いにも関わらず口渇感がない疾患は、本態性高Na血症(または無飲症性高Na血症)と呼ばれます。その多くは、脳腫瘍の形成や外傷によって、脳内視床下部領域(尿量を減らすホルモンであるバソプレッシンの産生細胞がある)が損傷を受けた結果、尿量調節に異常が生じ、脱水状態を引き起こすことが原因です。しかし、少数ながら、核磁気共鳴画像法(MRI)検査を行っても脳の異常が見つからない、原因不明の症例が存在することが知られていました。基礎生物学研究所 統合神経生物学研究部門の野田昌晴教授らの研究グループは2010年、そのような原因不明の一症例を解析し、腹部腫瘍形成が原因で、患者の体内に脳内Na+レベルセンサー分子であるNaxに対する自己抗体が産生され、脳室周囲器官と脳下垂体後葉が特異的に傷害を受けていることを報告しました。
今回、同グループは、広島大学、弘前大学、川崎市立川崎病院との共同研究を実施し、新たに3例の本態性高Na血症患者の体内において、前症例と同様に脳室周囲器官を認識する自己抗体が産生されていたことを見出しました。しかし、今回の3症例では、Naxに対する自己抗体は検出されませんでしたが、脳室周囲器官の1つ脳弓下器官に反応する抗体が、共通して見つかりました。従って、脳弓下器官が障害を受けるだけで、水分/塩分摂取行動の制御やバソプレッシンの分泌に異常が生じることが示唆されました。また、前症例と異なり、3例とも腫瘍は見つかりませんでした。今回の症例では、幼少期の高熱を伴う感染症等が自己抗体の産生を誘発したものと推定されました。
本成果は米国時間2016年8月2日に国際神経病理学会(International Society of Neuropathology)誌Brain PathologyにEarly ViewとしてOnline掲載されました。
【研究の背景】
ヒトの体液のナトリウム(Na)レベルは135~145 mMに保たれています(体液恒常性)。例えば、絶水状態が長時間続くと体液中のNaレベルが数mM上昇しますが、この時、飲水欲求が高まると共に、塩分欲求性は低下します。また、抗利尿ホルモン(anti-diuretic hormone; ADH)であるバソプレッシンが脳下垂体後葉から血中へ分泌され、排尿量が減少することによって水分の排出が抑えられます。こうした制御は、脳の脳室周囲器官(*1)に存在するセンサー分子群が体液の浸透圧やNaレベルの変化を感知し、その情報が下流の水分/塩分の摂取行動制御に関わる神経回路や、バソプレッシン産生細胞へ送られることによって実現されています。基生研の統合神経生物学研究部門(野田昌晴教授)の研究によって、体液中のNa+レベルはNa+チャンネルの1つ、Naxによってモニターされていることがわかっています。
血液Naレベルが恒常的に高くなる疾患は本態性高Na血症(essential hypernatremia)と呼ばれます。この病気は口渇感がないことからadipsic hypernatremiaとも呼ばれています。患者の多くは、脳腫瘍の形成や外傷によりバソプレッシン産生細胞のある脳内視床下部領域が損傷を受け、バソプレッシンの下垂体後葉への分泌能が低下したことが原因と考えられています。その結果、尿量が減少せず、脱水状態を引き起こします。しかし、少数ながら、脳の核磁気共鳴画像法(MRI)検査を行っても異常が見つからない、原因不明の症例が存在することが知られていました。2010年、当部門は、そのような原因不明の本態性高Na血症の一症例を解析し、患者の体内でNaxに対する自己抗体が産生され、脳室周囲器官と脳下垂体後葉に特異的に反応していることを報告しました(*2)。この症例では、自己抗体がこれらの部位で免疫反応を生じ、MRIでは検出できないレベルで障害され、その結果、水分/塩分摂取行動やバソプレッシン産生が制御不能となり、本態性高Na血症を発症したと推定されました。
【本研究の成果】
今回、新たに3例の本態性高Na血症患者の体内において、前例と同様に脳室周囲器官を認識する自己抗体が産生されていたことを見出しました。今回の3症例には、2010年に報告した症例と大きく違う点が2つありました。
1つ目は、自己抗体が認識する分子と脳部位の違いです。前回の症例では、体液Na+レベルセンサーであるNaxを認識する自己抗体が産生されていたために、Naxの発現する脳室周囲器官と下垂体後葉に抗体結合反応が見られました。しかし、この3症例の中に下垂体後葉を認識する自己抗体の産生は見られませんでした。また、3症例のうち2症例では、脳室周囲器官の内で脳弓下器官のみ(1症例では終板脈管器官も)を認識しました。このことから、Naxとは異なる分子を認識していると考えられます。また、この結果は、脳弓下器官が障害を受けるだけで、水分/塩分摂取行動の制御やバソプレッシンの分泌において異常が生じることを示しています。
2つ目は、自己抗体産生機序の違いです。前回の症例では腹部から自己抗体の標的分子であったNaxを高発現する腫瘍が見つかっており、この腫瘍形成が自己抗体産生を誘発したと推定されました。一方、今回はいずれの症例でも腫瘍は見つかりませんでした。幼少期の高熱を伴う感染症等により、脳において脳血液関門を欠損した脳室周囲器官に特に強い炎症が起こり、それに伴って脳弓下器官に特異的に発現している分子に対する自己抗体の産生を誘発したものと推定されます。
*1 脳室周囲器官:脳弓下器官や終板脈管器官など血液脳関門を持たない脳組織群の総称。
*2 Neuron vol.66, pp.508-522, 2010.
2010年05月27日付プレスリリース参照(http://www.nibb.ac.jp/press/2010/05/27.html)。
図1:患者の血清浸透圧と血中バソプレッシン濃度の関係
健常人では、脱水によって血清浸透圧が上昇すると脳下垂体後葉からのバソプレッシン分泌が増加し、これが腎臓に作用して尿産生を抑える (緑で正常範囲を示す)。しかし、高Na血症患者では、血清浸透圧が上昇しても正常にバソプレッシンが分泌されない。
図2:患者血清によるマウスの脳組織染色像
抗体が結合した部分が緑色に発色している。患者の血液から取り出した血清中には、脳室周囲器官である脳弓下器官(SFO)や終板脈管器官(OVLT)に結合する自己抗体が含まれていた。しかし、この抗体は脳下垂体後葉には結合しなかった。右端は、比較のために用いた健常人の血清による染色像。いずれを認識する抗体も含まれていない。
【発表雑誌】
米科学雑誌 Brain Pathology(国際神経病理学会機関誌)2016年8月2日にEarly ViewとしてOnline掲載されました。issueは先になります。
論文タイトル:
" Adipsic Hypernatremia without Hypothalamic Lesions Accompanied by Autoantibodies to Subfornical Organ"
「脳室周囲器官を認識する自己抗体の産生を伴う高ナトリウム血症」
著者: Hiyama TY, Utsunomiya AN, Matsumoto M, Fujikawa A, Lin CH, Hara K, Kagawa R, Okada S, Kobayashi M, Ishikawa M, Anzo M, Cho H, Takayasu S, Nigawara T, Daimon M, Sato T, Terui K, Ito E, and Noda M.
【研究グループ】
本研究は、基礎生物学研究所 統合神経生物学研究部門の檜山武史助教、野田昌晴教授と、
広島大学、弘前大学、川崎市立川崎病院との共同研究です。
【研究サポート】
本研究は、文部科学省科学研究費補助金のサポートを受けて行われました。
【本件に関するお問い合わせ先】
基礎生物学研究所 統合神経生物学研究部門
教授 野田 昌晴(ノダ マサハル)
Tel: 0564-59-5846(研究室)
E-mail: madon@nibb.ac.jp
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
TEL: 0564-55-7628
FAX: 0564-55-7597
E-mail: press@nibb.ac.jp