基礎生物学研究所
2011.03.28
井口らは国立環境研究所と行った先行研究で、オオミジンコに“幼若ホルモン類似物質”とよばれる化学物質が作用するとオスばかりが産まれることを見 つけていました。今回、研究グループは、その手法を用いてオスになる卵を集め、メスになる卵とオスになる卵の違いを調べました。
研究グループは、メスとオスで働いている遺伝子の違いを比較し、オスだけで強く働いている遺伝子、「doublesex1 (ダブルセックス1)」を発見しました。ミジンコの卵内で遺伝子の働きを止める手法(ミジンコにおけるRNA干渉法)を新たに開発し、この方法を用いて、 ダブルセックス1遺伝子の働きを止めると、オスになるはずの卵から生まれたミジンコはメスの形態を示しました。また、この遺伝子をメスになる卵に注入する とオスの形態を示しました。これらの結果より、井口らは、ダブルセックス1遺伝子の働き方の違いが、オオミジンコのオスとメスを決めていることを明らかに しました(ダブルセックス1が働くとオスに、ダブルセックス1が働かないとメスになる)。これは、環境性性決定において、具体的に性を決めている遺伝子が 明らかになった世界で初めての例です。
以上の成果は、遺伝学専門誌PLoS Genetics(プロスジェネテイックス)2011年3月号にて発表されます。
[研究の背景]
ミジンコは池や湖で春から夏にかけてたくさん増え、藻類を食べて育ち、魚の餌にもなる生態系で重要な動物プランクトンです。今回研究に用いたオオミ ジンコは日本には生息していませんが、5mmほどにもなる大型のミジンコで、世界中で化学物質の安全性試験に使われています(図1)。
ミジンコ類は環境が良ければメスがメスを産んで単為生殖(クローン)で増えていますが、餌不足、混雑、短日など環境条件が悪くなるとオスを産み、オ スとメス(図2、3)は交尾して乾燥にも耐えられる耐久卵を産み、耐久卵からはメスが発生します(図4)。今までオオミジンコがオスを産む仕組みは謎でし た。
オオミジンコは、世界的に化学物質の安全性を調べるための試験に使われています。生まれて24時間以内の仔虫を50 mlの水を入れたビーカーに1匹入れて、3週間の間に産まれた仔の数を数えて化学物質の安全性を判断しています。国立環境研究所の鑪迫博士らとの共同研究 で、ペットのノミやダニを防ぐ薬をごく微量入れた水でオオミジンコを飼育するとオスを産むことを見つけました。この薬は、昆虫の幼若ホルモンの構造を変え た、幼若ホルモン類似物質で、昆虫が成体になるのを防ぐ働きがあります。これによって、オオミジンコにオスとメスを産み分けさせることができるようになり ました。
しかし、ミジンコが観察されて、図として残された17世紀から、ミジンコがオスを産む仕組みは謎のままでした。性決定の仕組みには、ヒトやメダカの ようにY染色体上にある特定の遺伝子がオスを作らせる遺伝性性決定の方式と、ワニやカメのような孵卵の温度による性の決定やミジンコのような餌不足、混 雑、短日といった環境条件の悪化によりオスが生まれる、環境性性決定があります。環境性性決定の仕組みは謎のまま残されていました。
[本研究の成果]
井口らは、DMドメインと呼ばれるDNA結合領域を持つ遺伝子に着目し、オオミジンコからDMドメインを持つ遺伝子を5種類単離しました。オスにな る過程とメスになる過程を比較すると、doublesex1(ダブルセックス1)と名付けた遺伝子がオスだけで活発に働いていることがわかりました。
研究グループはダブルセックス1遺伝子の機能を調べるために、ミジンコの卵内において遺伝子の機能を阻害する方法を新たに開発しました(ミジンコに おけるRNA干渉法に世界で初めて成功)。そして、オスになる卵でダブルセックス1遺伝子の働きを抑制しました。すると、オスになるはずの卵から、卵巣を 持ったメスのミジンコが生まれました。また、ダブルセックス1遺伝子をメスになる卵に注入すると、第一触角が伸びてオスの形態を示しました。これにより、 オオミジンコがオスになるためにはダブルセックス1遺伝子が必須であることが分かりました(図5)。これは、環境性性決定において、具体的に性を決めてい る遺伝子が明らかになった世界で初めての例です。
[今回の研究で明らかとなったオオミジンコのオスが生まれる仕組み]
環境が悪化すると、ミジンコのメスの体内の幼若ホルモンの濃度が上がり、幼若ホルモンは卵巣内の卵に作用すると考えられます。卵は幼若ホルモンの作用を 受け、卵内においてダブルセックス1の遺伝子のスイッチが入ります。ダブルセックス1の働きにより、オスのミジンコが生まれます。
[今後の展開]
水生の甲殻類からショウジョウバエ、チチュウカイミバエやミツバチなどの陸性の昆虫が進化したと考えられています。これら昆虫の性決定の仕組みを、 甲殻類のオオミジンコの性決定の仕組みと比べると、昆虫の祖先とも言えるミジンコからDMドメインを持つ遺伝子が性の決定に必須の働きをしていることが明 らかとなってきました。さらにこの遺伝子の仲間は鳥類やほ乳類の遺伝性性決定についても重要な働きをしています。本研究は、甲殻類から昆虫類の性決定の仕 組みの進化の解明、環境性性決定の解明、さらには動物の性決定の仕組み全体の解明にもつながることが期待されます。
図1:背中に卵を抱えたオオミジンコのメス
オオミジンコは体長5mmにもなる大型のミジンコで、北米や中国が原産。世界中で化学物質の安全性試験に使われています。
図2:オオミジンコのオスとメスの違い
オオミジンコのオス(左)は、第一触角が長く、第一胸肢にフックがあり、精巣を持ちます。メス(右)は第一触角が短く、第一胸肢にフックはなく、卵巣を持ちます。
図3:オオミジンコの第一触角の走査型電子顕微鏡写真
オス(左)の第一触角は長く、メスの第一触角は短い。
図4:ミジンコは環境が良ければメスがメスを産んで増える単為生殖(クローン)により、爆発的に増え、藻類を 食べ魚の餌にもなり、生態系を支えています。しかし、餌不足、混雑や短日などの環境の悪化によりオスを産み、交尾して乾燥にも耐えられる耐久卵を作りま す。この耐久卵からはメスが発生してきます。
図5:RNA干渉法によりダブルセックス1遺伝子の働きを低下させると、オスになるはずの卵から、メスの特徴 (第一触角が短く、卵巣を持つなど)を持った子供が生まれました。逆にメスになるはずの卵に、ダブルセックス1遺伝子を注入すると、オスの特徴を持った子 供が生まれました。これらの実験は、RNA などの目的の物質をミジンコの卵に微量注入し遺伝子操作を行うことで可能となりました。
[発表雑誌]
遺伝学専門誌PLoS Genetics(プロスジェネテイックス) 2011年3月号に掲載
論文タイトル:
"Environmental sex determination in the branchiopod crustacean Daphnia magna: Deep conservation of a doublesex gene in the sex-determining pathway"
著者:Yasuhiko Kato, Kaoru Kobayashi, Hajime Watanabe and Taisen Iguchi
[研究グループ]
本研究は、岡崎統合バイオサイエンスセンター・基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門の井口泰泉教授、大阪大学の渡邊肇教授(元・基礎生物学研究所)、加藤泰彦博士(日本学術振興会特別研究員)らによって行われました。
[研究サポート]
本研究は、文部科学省科学研究費補助金、環境省および日本化学工業協会LRIのサポートを受けて行われました。
[本件に関するお問い合わせ先]
岡崎統合バイオサイエンスセンター・基礎生物学研究所
分子環境生物学研究部門
教授 井口 泰泉(イグチ タイセン)
TEL: 0564-59-5235(研究室)
E-mail: taisen@nibb.ac.jp
[報道担当]
基礎生物学研究所 広報国際連携室
倉田 智子
Tel: 0564-55-7628
Fax: 0564-55-7597
E-mail: press@nibb.ac.jp
[参考映像]
オオミジンコのメス
オオミジンコのオス