名古屋大学
自然科学研究機構 生命創成探究センター
自然科学研究機構 基礎生物学研究所
ヒトの脳の基本構造は左右対称ですが、多くの場面で左右非対称に働きます。そのために、左右の脳の間で互いに抑制しあう「相互抑制注1)回路」の重要性は、以前から提唱されていましたが、回路構成の詳細と機能は長い間謎のままでした。今回、名古屋大学の 小田 洋一 名誉教授、島崎 宇史 大学院生および自然科学研究機構生命創成探究センターの 東島 眞一 教授らのチームは、熱帯魚ゼブラフィッシュの後脳(延髄)で働く相互抑制回路を単一細胞レベルで明らかにした上で、その相互抑制回路は、魚が一方向に素早く逃げるときに重要な役割を果たすことを見出しました。魚の脳は、哺乳動物と基本的に同じ構造をしているため、今回の研究成果は左脳と右脳の間の相互抑制回路が我々の手足の左右非対称な運動に果たす役割の解明につながると期待されます。
この研究成果は、平成30年12月21日付米国科学雑誌Journal of Neuroscience誌電子版に掲載されました。
【ポイント】
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我々の脳は基本的に左右対称の構造であるが、多くの場面で左右非対称に活動することができる
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左脳と右脳間の「相互抑制」が左右非対称な脳活動にとって重要な役割を果たしていると考えられてきたが、その実態は長い間不明であった
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魚が刺激や敵から素早く逃げる(逃避運動注2))ときに働く神経回路を対象に、相互抑制回路を単一細胞レベルで明らかにし、さらにそれが左右の脳の神経細胞の活動および逃避運動に果たす役割を世界で初めて明らかにした
【研究背景と内容】
脊椎動物は体と同様に、脳も基本的に左右対称に構成されている。左右の体を同時に同じように動かすこともあるが、多くの場面で左右の体を非対称に動かす。その時、それぞれを制御する左右の脳は、左右非対称に活動する。左脳と右脳の間を結ぶ神経線維の損傷による影響などから、左右非対称な脳活動を生成するには、両脳間で互いに抑制しあう「相互抑制回路」の重要性が古くより提唱されていた。しかし、関与する神経回路の複雑さやアプローチの難しさから、「相互抑制回路」の具体的な神経回路構成や運動における役割は長い間不明のままであった。
今回、自然科学研究機構生命創成探究センター・基礎生物学研究所と名古屋大学大学院理学研究科から構成される研究チームは、熱帯魚の一種で脊椎動物の脳研究に広く用いられているゼブラフィッシュを用いて、「相互抑制回路」を単一細胞レベルで明らかにしたうえで、運動制御に果たす役割を解明した(
Journal of Neuroscience 2018年12月21日電子版に掲載)。
魚には敵や侵害刺激から素早く逃げるときに働く逃避回路(図1)があり、最初に刺激と反対方向に素早く体を曲げる屈曲を起こす回路は、後脳(我々の延髄に相当)に左右一対存在する大きなマウスナー細胞
注3)によって駆動される。左右のマウスナー細胞には互いに抑制しあう「相互抑制回路」が存在することが分かっていたが、その回路を中継する神経細胞(ニューロン)がどこにどれだけあるかは不明であり、そのために回路の機能も概念的にしか理解されておらず、実際の逃避運動に「相互抑制回路」がどのような役割を果たすのかも謎のままであった。
図1:ゼブラフィッシュの逃避行動(左)を駆動するマイスナー細胞の回路(右)
研究チームは、相互抑制回路を中継する介在ニューロンに緑色蛍光タンパク質(Green Fluorescent Protein, GFP)を発現する遺伝子改変ゼブラフィッシュを見出し(図2)、電気生理学的手法
注4)やイメージングおよび行動解析から相互抑制回路の同定と機能を明らかにした。まず、後脳の後方に位置する二対のT型網様ニューロン
注5)(Ta1細胞とTa2細胞)が、マウスナー細胞の相互抑制回路の主要な中継ニューロンであることを電気生理学的に明らかにした(図1右)。
図2:ゼブラフィッシュのマウスナー細胞と相互抑制回路の介在ニューロン(Ta1とTa2)
次に、その二対の介在ニューロンを除外したゼブラフィッシュの両側のマウスナー細胞の活動を、カルシウム・イメージング
注6)と電気生理学的手法で計測した(図3)。その結果、通常は逃避運動を引き起こす音刺激によって、片側のマウスナー細胞が活動するのに対して、Ta1細胞とTa2細胞を取り除くと、両側のマウスナー細胞がほぼ同時に活動する現象が頻繁に見られるようになった。特に、相互抑制回路が働く時間(片側のマウスナー細胞の活動から2ミリ秒以降)で同時活動が著しく増えた。
図3:相互抑制回路を除去すると両側のマイスナー細胞が活動
最後に、ゼブラフィッシュの逃避運動への影響を調べたところ、相互抑制回路が働かなくなって両側のマウスナー細胞が活動すると、左右の胴筋がともに収縮することによって逃避運動の最初の屈曲が十分に起こらないことが明らかになった(図4)。
図4:相互抑制回路を除去すると両側のマイスナー細胞が活動して、逃避運動の屈曲角度が小さくなる
以上から、ゼブラフィッシュの後脳に存在して逃避運動を駆動するマウスナー細胞の相互抑制回路は、両側のマウスナー細胞が同時に活動することを抑圧して、片側だけが活動し、一方向に逃げるために重要な役割を果たしていることが示された。相互抑制回路は脊髄にも存在することが示されていて、脊髄では、さらに短い経過(片側のマウスナー細胞の活動から2ミリ秒以内)で働く。今回の発見により、脳と脊髄で多重に相互抑制回路が働くことによって(図5)、左右の神経回路の活動が著しく非対称となり、魚は刺激の反対方向に素早く逃げられることが明らかになった。
図5:逃避運動回路に含まれる2つの相互抑制回路
【成果の意義】
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魚の脳は哺乳動物と基本的に同じ構造をしているため、今回の研究成果は、左脳と右脳の間の相互抑制回路が我々の手足の左右非対称な運動に果たす役割の解明につながると期待される。
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今回の研究では、後脳(脳)と脊髄の相互抑制回路が、それぞれ異なる仕組みで反対側の神経活動を抑制していることも明らかになり、中枢神経系全体の相互抑制回路のモデルになりうると考えられる。
【用語説明】
注1)相互抑制:神経細胞同士が互いに抑制しあうこと。Reciprocal inhibitionの和訳。相反抑制ともいう。
注2)マウスナー細胞:魚の後脳(人の延髄に相当)の左右に一対存在する大型の神経細胞(ニューロン)。魚が音・振動・視覚などの刺激から素早く逃げるときに必ず活動する。左右一対のうち一方のみが活動することが、一方向への素早い逃避には重要である。
注3)逃避運動:動物が敵や刺激から素早く遠ざかる運動。魚ではマウスナー細胞が、逃避運動を開始する上で決定的な役割を果たし、マウスナー細胞の感覚入力から運動出力までの基本回路が明らかにされているので、運動制御回路の解析モデルとして注目されている。
注4)電気生理学的手法:神経細胞が発生する電気信号を細胞内外からとらえて、神経細胞の活動を計測する方法。
注5)T型網様ニューロン:魚の後脳に存在する神経細胞の一種で、出力線維(軸索)が脳の前後方向にT字形に伸びている特徴的な形態をしている。
注6)カルシウム・イメージング:神経細胞が活動するときに細胞内に流れ込むカルシウムイオンを蛍光カルシウム感受性指示薬で感知し、カルシウム濃度変化を蛍光強度の変化でとらえ、神経細胞の活動を計測する方法。
【論文情報】
雑誌名:
The Journal of Neuroscience(ジャーナル・オブ・ニューロサイエンス)
論文タイトル:
Behavioral Role of the Reciprocal Inhibition between a Pair of Mauthner Cells during Fast Escapes in Zebrafish
(ゼブラフィッシュの逃避運動に果たす左右のマウスナー細胞間の相互抑制の役割)
著者:島崎 宇史(名古屋大学理学研究科大学院生)、谷本 昌志(名古屋大学理学研究科研究員)、小田 洋一(名古屋大学名誉教授)、東島 眞一(自然科学機構生命創成探究センターおよび基礎生物学研究所教授)
DOI:
10.1523/JNEUROSCI.1964-18.2018
【研究者連絡先】
名古屋大学大学院理学研究科
名誉教授(国際機構特任教授)小田 洋一(おだ よういち)
TEL:052-747-6962 FAX:052-747-6526
E-mail:oda@bio.nagoya-u.ac.jp
自然科学研究機構生命創成探究センター/基礎生物学研究所
教授 東島 眞一(ひがしじま しんいち)
TEL:0564-59-5876
E-mail:shigashi@nibb.ac.jp
【報道連絡先】
名古屋大学総務部総務課広報室
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自然科学研究機構生命創成探究センター 広報担当
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