基礎生物学研究所
2008.12.12
セロトニンは、神経細胞間で情報伝達を行う化学物質である神経伝達物質の1つです。脳内のセロトニン濃度の低下と鬱病等との関係が示唆されていますが、セロトニンの脳における機能はよくわかっていません。基礎生物学研究所 脳生物学研究部門の山森哲雄教授らの研究グループは大阪大学の佐藤宏道教授のグループと共同で、セロトニンが脳内における視覚の情報処理において、雑音(ノイズ)を減少させる役割と、視覚刺激のコントラストを適当な強さに調節する役割を持つことを明らかにしました。今回の研究は、セロトニンの高次脳機能における役割の一端を初めて明確に示したものであり、今後、その脳における役割の全容解明に貢献するものと期待されます。この研究成果は脳科学専門誌Cerebral Cortex オンライン版に12月5日に掲載されました。
大脳皮質は、哺乳類の高次脳機能に中心的役割を演じるものであり、特にヒトで良く発達し、脳全体を覆うに至ります。大脳皮質は「領野」と呼ばれる50程の区分に分けられ、それぞれの領野は、視覚や聴覚、運動機能などの機能を司ります。山森研究室では、霊長類の大脳皮質の領域特異的な機能分担や、脳の進化を探ることを目的として、領野に特異的に発現する遺伝子の探索を行ってきました。
研究グループは、霊長類大脳皮質の代表的4 領野 [ 一次視覚野、運動野、連合野、高次視覚野 ] について、各領野間での遺伝子発現を比較検討しました。その結果、神経間の情報伝達を担うセロトニンを受け取りその情報を他の神経細胞に伝えるセロトニン1B 受容体とセロトニン2A 受容体の遺伝子発現が一次視覚野の神経細胞において非常に強く発現していることを発見しました (図1)。
図1: 一次視覚野におけるセロトニン受容体の遺伝子発現
脳切片中の濃い紫色の部分が、セロトニン受容体1B遺伝子が神経細胞で強く発現している様子を示している。
そこで研究グループは、セロトニン受容体の視覚機能に果たす役割の解析を行いました。様々なコントラストの縞模様状視覚刺激をニホンザルに見せて(図2)、一次視覚野の神経細胞の応答を調べる実験を行いました。この時にセロトニン受容体を活性化する薬剤を投与することで、視覚応答に対するセロトニン受容体の効果が分かります。その結果、セロトニン1B受容体には、視覚刺激とは関係のない神経細胞の応答(ノイズ)を減らし、視覚刺激に応答する神経細胞の応答を強める働きがあることが明らかになりました。またセロトニン2A受容体には、コントラストが弱い視覚情報に対して、コントラストをより強く調節し、コントラストが強い時には、逆に抑える役割があることが判りました(図3)。以上の結果より、神経伝達物質セロトニンには、脳内における視覚の画像情報処理において、ノイズを減少させる役割と、コントラストを適正なレベルに調節する役割を持つことが明らかになりました。この2つの機能が相まって、鮮明な視覚像が脳内で再生されることが可能になると考えられます。
図2: 縞模様の変化をサルに見せ、神経細胞の応答を探る実験
左図: コンピューターディスプレイ上に呈示された視覚刺激をサルが見ている様子。 中図、右図: コントラストが異なる縞模様状視覚刺激を示している。中図が高コントラスト、右図が低コントラスト刺激。
図3: セロトニンの視覚における役割を示すイメージ図
セロトニン受容体は視覚像のノイズを減らし、コントラストを適正に調節する。
今回の研究は、霊長類の大脳皮質に固有の遺伝子発現の解析から、その生理的機能を始めて明らかにした点で新しく、今後、霊長類固有の高次脳機能を解析する一つのモデルケースとなると期待されます。また、鬱病の治療に、SSRI (選択的セロトニン再取り込み阻害薬,フルオキセチン,セルトラリン等がある)が標準的に用いられ、60~70%の症例で効果がある事から、脳内のセロトニン低下が鬱病を招く少なくとも一つの原因であるというセロトニン仮説が提唱されていますが、これを直接的に示す証拠は未だありません。セロトニンと十数種あるその受容体が感覚や認知機能に果たす具体的な役割は、これまで、殆ど判っておらず、今回の報告は、その点でも新しい知見であり、今後、鬱病の発症や治療研究のガイド的研究となる可能性が期待されます。
Cerebral Cortex誌(脳科学専門誌)
オンライン版 2008年12月5日 掲載
論文タイトル:
"Enriched Expression of Serotonin 1B and 2A Receptor Genes in Macaque Visual Cortex and their Bidirectional Modulatory Effects on Neuronal Responses"
著者:Akiya Watakabe, Yusuke Komatsu, Osamu Sadakane, Satoshi Shimegi, Toru Takahata, Noriyuki Higo, Shiro Tochitani, Tsutomu Hashikawa, Tomoyuki Naito, Hironobu Osaki, Hiroshi Sakamoto, Masahiro Okamoto, Ayako Ishikawa, Shin-ichiro Hara, Takafumi Akasaki, Hiromichi Sato and Tetsuo Yamamori
本研究は、基礎生物学研究所脳生物学研究部門(山森哲雄、渡我部昭哉、小松勇介、高畑亮、栃谷史郎 )と、大阪大学大学院医学系研究科認知行動脳科学研究室(佐藤宏道、定金理(現基礎生物学研究所)、七五三木聡、内藤智之、尾崎弘展、阪本広志、岡本正博、石川理子、原真一郎、赤碕孝文)との共同研究として行われました。なお,研究に当たっては端川勉(理研脳科学研究センター)、肥後範行(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門)両博士の協力を得ました。
本研究は文部科学省科学研究費補助金のサポートを受けて実施されました。
[本件に関するお問い合わせ先]
基礎生物学研究所 脳生物学研究部門
教授: 山森 哲雄(やまもり てつお)
Tel: 0564-55-7615(研究室)
E-mail: yamamori@nibb.ac.jp
URL: http://www.nibb.ac.jp/divspe1/
基礎生物学研究所 連携・広報企画運営戦略室
倉田 智子
Tel: 0564-55-7628
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