自然科学研究機構 基礎生物学研究所
総合研究大学院大学
白黒だけで描かれた模様を急に動かしたり回転させたりすると、存在しないはずの色が見えることがあります。この現象は「主観色」と呼ばれ、約200年にわたり研究されてきた視覚の不思議です。なかでも「ベンハムのコマ」は、白黒の円盤を回すだけで色が見える代表的な例として知られています。基礎生物学研究所 神経生理学研究室の上田恭平大学院生(総合研究大学院大学 SOKENDAI特別研究員)、基礎生物学研究所 超階層生物学研究センター AI解析室のラナ・シナパヤ特任准教授(ソニーコンピュータサイエンス研究所 京都研究室 研究員)、基礎生物学研究所 神経生理学研究室の渡辺英治准教授(基礎生物学研究所 超階層生物学センター AI解析室 室長、総合研究大学院大学 准教授)の研究グループは、予測学習を行う人工ニューラルネットワークを用いて、この主観色現象の仕組みに迫りました。
研究グループは、自然や街の中を歩きまわる動画を入力し「次にどのような画像が来るか」を予測するように学習したAIに、白黒のベンハムのコマを入力しました。すると、入力画像には色の情報がまったく含まれていないにもかかわらず、AIが予測した画像には淡い色が現れました。さらに、この人工的に生じる色は、AIに学習させる動画の内容を変えることで変化することがわかりました。3Dコンピュータグラフィックス動画や赤・緑・青の四角形が動く単純な2D動画を学習させた場合の予測と比較することで、学習映像の中の「動く物体の色」によって予測に生じる色が変化することが明らかとなりました。これらの結果より、動きと色の結びつきを学習することが、白黒刺激から色を生み出す一因となる可能性が示されました。
本研究は、主観色が網膜だけで完結する現象ではなく、過去の経験に基づいて未来の視覚入力を予測する脳の働きとも関係する可能性を示すものです。白黒のコマからなぜ色が見えるのかという古典的な謎に、AIを用いた新しい手がかりを与える成果です。
本研究成果は、2026年6月16日に Scientific Reports 誌に掲載されました。
白黒のベンハムのコマから、予測するAIが色を生み出すイメージ
【研究の背景】
私たちは、目に入ってきた情報をそのまま見ているわけではありません。脳は、過去の経験や周囲の状況をもとに、次に何が起こるかを絶えず予測しながら世界を見ていると考えられています。このような考え方は「予測符号化」(*1)と呼ばれ、近年の視覚神経科学や人工知能研究において重要な理論の一つとなっています。
白黒の模様から色が見える「主観色」は、この予測的な視覚処理を考えるうえで非常に興味深い現象です。代表的な例であるベンハムのコマ(図1)では、白黒の円盤を回転させると、弧の部分に赤、青、緑、黄のような色が見えることがあります。実際には刺激には色が含まれていないため、見えている色は視覚系が作り出したものです。
図1:ベンハムのコマ
主観色は、1826年にPrevostによって報告され、1838年には物理学者のFechnerによって「主観色」という概念が提案されました。その後、1894年にBenhamのコマが紹介され、主観色を調べる代表的な刺激として広く知られるようになりました(図2)。
これまで主観色は、網膜や視覚経路の初期段階における時間応答の違い、色チャンネルの処理、空間的な相互作用などによって説明されてきました。しかし、主観色の見え方には個人差があり、また脳の高次視覚領域からのフィードバックが関与する可能性も示されてきました。そこで本研究グループは、脳が予測によって視覚世界を理解しているという観点から、主観色の生成メカニズムを調べることにしました。
図2:ベンハムのコマと主観色の200年
白黒だけで描かれた模様を動かしたり回転させたりすると、存在しないはずの色が見えることがあります。この現象は主観色と呼ばれ、1826年の報告から約200年にわたり研究されてきました。ベンハムのコマは、この主観色を体験できる代表的な刺激です。
【研究の成果】
研究グループは、予測学習を行う人工ニューラルネットワークであるPredNet(*2)を用いました。PredNetは、過去の画像列から次の画像を予測するように学習するモデルで、脳の予測符号化に着想を得た人工知能です。今回の研究では、このモデルに様々な動画を入力して学習させた後、学習には一度も使っていないベンハムのコマを入力し、AIがどのような画像を予測するかを調べました。
まず研究グループは、オンライン心理実験を行い、人が今回用いたベンハムのコマを見たときにどのような色を感じるかを調べました。98名の参加者に、回転するベンハムのコマで見える色を回答してもらったところ、弧の位置、回転方向、黒い弧か白い弧かによって、見える色が系統的に変化することが確認されました。本研究では、この3つの依存性を、人工ニューラルネットワークの応答を評価する基準として用いています。
次に、自然や街の中を歩き回る動画(*3、以降「自然動画」)を学習したPredNetにベンハムのコマを提示しました。すると、静止したベンハムのコマではほとんど色が現れなかった一方で、回転するベンハムのコマを入力した場合には、AIの予測画像の弧の部分に淡い色が現れました(図3)。これは、白黒の刺激から人工的な主観色が生成されたことを意味します。
図3:自然や街の風景を学習した予測学習AIによる人工主観色
自然動画の未来の画像を予測するように学習した人工ニューラルネットワークに、白黒のベンハムのコマが回転する動画を入力しました。すると、入力画像には色の情報がないにもかかわらず、AIが予測した画像には淡い色が現れました。コマを左回転させたときと、右回転させたときで色が出る位置が変わることに注意。論文では、白地に黒線の逆、すなわち黒地に白線バージョンも試しています。黒地に白線バージョンの場合、不思議なことに、白地版とは色の位置が逆になります。この色の位置が変わる現象も、人とAIで同じであることが確認されました。静止したコマでは色は現れません。本研究では、この現象を人工主観色と呼びました。
さらに重要なことに、人工主観色は学習した動画の内容に依存していました。自然動画で学習したモデルでは、淡くばらつきのある色が現れました。3Dコンピュータグラフィックスで作成した「街を歩く人物」の動画で学習したモデルでは、より鮮明な人工主観色が現れました。そして、赤・緑・青の四角形が動く単純な2D動画で学習したモデルでは、学習時に動いていた四角形の色に対応した人工主観色が強く現れました(図4)。自然動画、3D CG、2D動画という3段階の単純化によって、動く物体の色が人工主観色の主要な決定要因であることが示されました。
この結果は、AIが単にベンハムのコマの模様を「色づけ」したのではなく、学習経験の中で得た「動き」と「色」の結びつきを、白黒の動き刺激に対して予測として適用した可能性を示しています。言い換えると、AIは白黒の弧を、過去の学習経験に基づいて「色を持った動く物体」のように扱ったと考えられます。これらの結果より、研究チームは今回、動く物体は予測学習において特に重要な対象であり、学習動画に動く物体の色の偏りがあると、運動に関係する予測にも対応する色の偏りが生じる、というメカニズムを提案しました。
また本研究では、回転そのものを取り除いた「点滅する線」の刺激も用いました。この刺激は、空間的な回転運動は持たない一方で、ベンハムのコマが網膜上に作る時間的な白黒パターンを保っています。その結果、この点滅線刺激でも人工主観色が生じました。これは、主観色の生成において、円盤が回転していること自体よりも、網膜上で生じる時間的な明暗パターンが重要であることを示唆しています。
図4:動く物体の色がAIの「見える色」を変える
AIが学習した動画に含まれる動く物体の色を変えると、白黒のベンハムのコマに対してAIが生成する色も変化しました。これは、主観色が、視覚経験の中で学習された「動き」と「色」の結びつきに影響される可能性を示しています。
【今後の展望】
今回の研究は、人工ニューラルネットワークを使うことで、人では直接行うことが難しい「視覚経験の操作」を可能にしました。人間の参加者に、赤い物体だけ、青い物体だけ、あるいは特定の色の動く物体だけを長期間見せ続け、その後に主観色がどう変わるかを調べることは現実的ではありません。しかし、人工ニューラルネットワークであれば、学習させる動画の内容を精密に操作し、その経験が錯視の生成にどのような影響を与えるかを調べることができます。
本研究は、主観色が網膜だけで完結する現象ではなく、脳が過去の経験に基づいて未来の視覚入力を予測する過程とも関係している可能性を示しました。もちろん、今回の人工ニューラルネットワークは人間の脳そのものではありません。しかし、脳の予測的な情報処理を考えるためのモデルとして、古典的な錯視研究に新しい視点を与えるものです。
白黒のコマからなぜ色が見えるのか。この問いは、約200年にわたり研究者を惹きつけてきました。本研究は、この古典的な謎に対し、「見る」とは、目に入った情報を受け取るだけではなく、過去の経験をもとに世界を予測する働きでもある、という新しい見方を提示します。古いコマに、AIが新しい光を当てた、と言えるかもしれません。
今後は、人間の主観色の個人差が、視覚経験や生活環境の違いとどのように関係するのかを調べることで、錯視だけでなく、私たちが世界をどのように色づけて見ているのかという、より大きな問題の理解につながることが期待されます。
【用語解説】
*1 予測符号化:
脳の動作原理を説明するための基本理論のひとつ。私たちの脳は入力されている感覚信号と脳の予測信号との誤差を教師データにして、脳内に外の世界のモデルを作り上げているという考え方。基礎生物学研究所の渡辺グループの基本的な作業仮設のひとつで、錯視現象を説明する理論として展開している(参考文献1)。
*2 PredNet:
ハーバード大学のLotterらによって開発された動画予測AI(参考文献2)。ChatGPTのような汎用的なAIではなく、研究者が研究対象とする映像を使ってゼロから学習をするオーダーメイド型で、動画の未来を予測する専門性の高いAI。このAIには脳の動作理論である予測符号化が組み込まれており、その性質を利用して渡辺グループが知覚研究用に再開発を行った(参考文献3,4)。
*3 自然や街の中を歩き回る動画:
カメラを持った人が様々な場所を動きながら撮影した16本の動画。1本あたり約20分の著作権フリーの動画で、動画ごとに学習モデルをつくり、計16個の学習モデルで検証をした。
【発表雑誌】
雑誌名:Scientific Reports
掲載日:2026年6月16日
論文タイトル:Predictive networks generate motion-induced color illusions
著者:Kyohei Ueda, Lana Sinapayen, Eiji Watanabe
DOI:
https://doi.org/10.1038/s41598-026-57953-w
【参考文献】
1. Watanabe et al., Vision Research 50 (2010)
https://doi.org/10.1016/j.visres.2010.09.021
2. Lotter et al., ICLR (2017)
https://arxiv.org/pdf/1605.08104
3. Watanabe et al., Front. Psychol. 9 (2018)
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2018.00345
(プレスリリース:
https://www.nibb.ac.jp/press/2018/03/20-2.html)
4. Kobayashi et al., Sci. Rep. 12 (2022)
https://doi.org/10.1038/s41598-022-07438-3
(プレスリリース:
https://www.nibb.ac.jp/press/2022/03/10.html)
【研究グループ】
本研究は基礎生物学研究所 神経生理学研究室の上田恭平大学院生(総合研究大学院大学 SOKENDAI特別研究員)と基礎生物学研究所 超階層生物学研究センター AI解析室のラナ・シナパヤ特任准教授(ソニーコンピュータサイエンス研究所 京都研究室 研究員)と基礎生物学研究所 神経生理学研究室の渡辺英治 准教授(基礎生物学研究所 超階層生物学センター AI解析室 室長、総合研究大学院大学 准教授)による成果です。
【研究サポート】
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業、JST次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)、パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社などの支援を受けて行われました。
【本研究に関するお問い合わせ先】
基礎生物学研究所 神経生理学研究室 准教授
基礎生物学研究所 超階層生物学センター AI解析室 室長
総合研究大学院大学 准教授
渡辺 英治(ワタナベ エイジ)
TEL: 0564-59-5595(研究室)
E-mail: eiji@nibb.ac.jp または eijwat@gmail.com
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
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総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係