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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

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2017.02.10

精子幹細胞の分化と自己複製を両立する新たなメカニズムの発見 〜幹細胞は分化シグナルからどのように守られるのか〜

 長期間にわたって多くの精子を作ることは、私たちが子孫を残して命を伝えるための重要な営みで、大もととなる「精子幹細胞」の働きによって支えられています。基礎生物学研究所の徳江萌研究員(元総合研究大学院大学 大学院生)、吉田松生教授らと、筑波大学、横浜市立大学などの研究グループは、マウス精子幹細胞の分化を促すシグナル分子を明らかにし、さらに、一部の幹細胞でこのシグナル分子の作用を弱めることで幹細胞を残すという新たなメカニズムを発見しました。

 

 生物を構成する組織の細胞を生み出して維持するには、未分化な幹細胞(*1)と幹細胞から分化に向かった細胞を、バランス良く作りだすメカニズムが必要です。これまでの多くの研究によって、2つの代表的なメカニズムが明らかにされてきました。1つ目は、幹細胞が分裂する時、必ず1個の幹細胞と1個の分化細胞を作る「非対称分裂による制御」です。2つ目として、幹細胞は「幹細胞ニッチ」と呼ばれる特殊な場所にいる限り分化せず、「ニッチ」の外に出ると分化するという、「幹細胞ニッチによる制御」です。しかし本研究グループは、マウスの精子幹細胞は「非対称分裂」によって維持されているのではないこと、精子を作る精細管にはこのような特別な場所はなく、幹細胞は、分化細胞と入り混じって活発に動きまわっていることを、明らかにしてきました。そのため、精子幹細胞の分化と未分化のバランスを作るメカニズムは不明でした。

 

 本研究では、まず、マウスの精子幹細胞の分化を誘導するシグナルとして、Wntシグナルを見いだしました。さらに、一部の幹細胞だけで発現してWntシグナルを抑制するShisa6タンパク質を同定しました。Shisa6を発現する幹細胞と発現しない幹細胞ではWntシグナルの受けやすさに違いが生まれることで、幹細胞と分化細胞が生み出されることがわかりました。本研究成果は2017年2月9日発行のStem Cell Reports誌オンライン版に掲載されました。

 

【研究の背景】

 精子幹細胞は未分化な細胞であり、分裂して数を増やしながら精子へと分化していきます。幹細胞が分化しなければ精子は作られません。一方、幹細胞が過剰に分化してしまうと、その後の精子産生が維持できなくなってしまいます。このバランスのとれた幹細胞の維持と分化は、多くの組織にある幹細胞システムに共通する重要な性質です。

 

 研究の進んでいる哺乳類の腸やショウジョウバエの精子や卵などの幹細胞は、「幹細胞ニッチ」と呼ばれる特殊な場所に存在している様子が観察されています。ニッチには、分化を阻害するシグナル分子が局在していて、その働きによってニッチの中にいる細胞を幹細胞として維持します(図1 A)。また、ショウジョウバエの精子や卵の幹細胞では、「非対称分裂」と呼ばれる、幹細胞が分裂する際に必ず幹細胞と分化細胞が1つずつ生み出される分裂が観察されています(図1 B)。

 

 一方、マウスの精子形成は、精細管と呼ばれる細く長い管で進行します。精細管には明確なニッチ構造は見つかっておらず、幹細胞(GFRα1陽性細胞)は精細管中に散らばって動き回ります。また精子幹細胞が分裂したときの幹細胞と分化細胞のパターンは決まっていないことが明らかになっています。(本研究グループによる2014年05月02日、2015年04月28日付け基礎生物学研究所プレスリリースを参照ください。)

 

 したがって、マウスの精子幹細胞が、どのような合図(シグナル)によって分化細胞に変わるのか、さらに、幹細胞として残る細胞がどのように決められるのかは不明でした(図1 C)。

 

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図1マウスの精子幹細胞は特定のニッチ領域を持たない

A、幹細胞ニッチによる制御メカニズム。特定の領域に限られた幹細胞ニッチには幹細胞を維持するシグナルがあり、ニッチから出た細胞は分化する。B、非対称分裂による制御メカニズム。幹細胞が分裂するときには、必ず幹細胞と分化細胞が作られる。C、マウスの精巣の中に折りたたまれている精細管では、精子幹細胞と分化細胞が特定のニッチ構造を持たない領域で混じり合っていて、動きまわっている。

 

 

【研究の成果】

本研究では、幹細胞の維持と分化を司る新しいメカニズムを発見しました。

 

①       Wntシグナルは精子幹細胞の分化を促進する。 研究グループは、培養した精子幹細胞でWntシグナルの働きを調べました。また、Wntシグナルを増強した変異マウスを用いて、精子幹細胞に対するWntシグナルの働きの解析を行いました。するとWntシグナルによって分化を示す遺伝子の発現が上昇し、変異マウスでは幹細胞の数が減少し精巣が小さくなりました(図2 A、B左から3つ目までの図とグラフ)。これらの結果よりWntシグナルによって幹細胞が分化すると考えられます。

② 一部の幹細胞がShisa6を発現してシグナルを抑制する。 Wntシグナルにさらされているにもかかわらず、一部の幹細胞は分化せずに残るのはなぜかを明らかにするために、幹細胞で発現しているWntシグナルを阻害する遺伝子を探しました。その結果、Shisa6遺伝子にこれまで知られていないWntを阻害する働きがあることがわかりました。またShisa6遺伝子を破壊してWntシグナルを強くすると、幹細胞の数が減少し、精巣が小さくなることが分かりました(図2 A、B)。

 

 これらの結果から、Shisa6を発現する幹細胞と発現しない幹細胞ではWntシグナルの受け取りやすさに違いが生まれることで、幹細胞と分化細胞が生み出されることがわかりました。

 

【本研究の意義と今後の展開】

 本研究では、これまで不明であった精子幹細胞の分化を誘導するシグナルについて明らかにしました。また研究の進んでいない「同じように分化シグナルを受けても、幹細胞と分化細胞が生み出されるメカニズム」の解明に挑戦し、一部の幹細胞が分化シグナルを受けにくくなるメカニズムがあることを発見しました(図3)。

 

 これは、精子幹細胞のみならず、明確な幹細胞ニッチが見られない他の組織でも共通するメカニズムかもしれません。私たちの体が、長期間にわたり機能し続けるためにとっている戦略についての理解を深める助けになると考えられます。

 

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2. WntシグナルとShisa6を変化させた時の、精子形成と幹細胞に与える影響

A: 成体のマウス精巣の写真(スケールバーは1 mm)。B: 成体マウスの幹細胞(GFRα1陽性細胞)の精細管断面あたりの数。Wntシグナルを強く活性化すると精巣が小さくなって幹細胞が減少した。Shisa6量を半分に減らすと、Wntシグナルを弱く活性化しただけで精巣が小さくなって、幹細胞が減少した。

 

 

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3. マウスの精子幹細胞が分化から守られるメカニズム

幹細胞のうちShisa6を発現していない細胞はWntシグナルを強く受けて分化細胞になり、Shisa6を発現しているものはWntシグナルから守られるので分化しない。

 

*1 幹細胞:体の組織を構成する分化細胞を作り出すもととなる未成熟な細胞。分化細胞を生み続けることで組織の新陳代謝を担う。ここでは多能性幹細胞(iPS細胞など)とは異なり、正常な成体に存在する特定の組織の細胞にしか分化しない細胞を言う。

 

【掲載誌情報】

Stem Cell Reports  2017年2月9日号(オンライン先行掲載)

論文タイトル:

SHISA6 confers resistance to differentiation-promoting Wnt/β-catenin signaling in mouse spermatogenic stem cells

著者: Moe Tokue, Kanako Ikami, Seiya Mizuno, Chiyo Takagi, Asuka Miyagi, Ritsuko Takada, Chiyo Noda, Yu Kitadate, Kenshiro Hara, Hiroko Mizuguchi, Takuya Sato, Makoto Mark Taketo, Fumihiro Sugiyama, Takehiko Ogawa, Satoru Kobayashi, Naoto Ueno, Satoru Takahashi, Shinji Takada, Shosei Yoshida

 

【研究サポート】

本研究は、文部科学省 科学研究費補助事業(科研費)新学術領域研究「配偶子産生制御」、「配偶子幹細胞制御機構」などの支援のもと行われました。

 

【本研究に関するお問い合わせ先】

基礎生物学研究所 生殖細胞研究部門

教授:吉田 松生 (ヨシダ ショウセイ)

TEL: 0564-59-5865

E-mail: shosei@nibb.ac.jp

 

筑波大学医学医療系 (生命科学動物資源センター)

教授 高橋 智

TEL 029-853-3382

E-mail: satoruta@md.tsukuba.ac.jp

 

【報道担当】

基礎生物学研究所 広報室

TEL: 0564-55-7628

FAX: 0564-55-7597

E-mail: press@nibb.ac.jp