基礎生物学研究所
2007.04.17
卵や精子すなわち生殖細胞は、子孫をつくるために必要不可欠な細胞です。この生殖細胞は、発生過程の初期につくられる始原生殖細胞と呼ばれる細胞に由来します。始原生殖細胞は生殖細胞を経て次世代の個体を作り、再びその個体の中で始原生殖細胞がつくられるという過程が繰り返されることで生物の生命が維持されているのです。しかし不思議なことに、このような始原生殖細胞はもともとは死ぬようにプログラムされていることが、岡崎統合バイオサイエンスセンター/基礎生物学研究所の佐藤仁泰研究員、小林悟教授らによるショウジョウバエを用いた研究から明らかになりました。そして始原生殖細胞の中に含まれるナノス(Nanos)と呼ばれるタンパク質がこの細胞死のプログラムを抑制することにより、はじめて始原生殖細胞が生き残ることができるようになるという仕組みが判明しました。ナノス・タンパク質はマウスでもショウジョウバエと同様に始原生殖細胞の生存に関わっていることから、この研究成果は哺乳類を含めた動物全般の生殖細胞の維持の機構を明らかにする上で重要と考えられます。本研究は、科学技術振興機構(JST) CREST 研究(12-17 年度) のサポートのもと岡崎統合バイオサイエンスセンター/基礎生物学研究所の佐藤仁泰研究員、林良樹研究員( 現ミネソタ大学研究員)、小林悟教授らの研究グループにより行われました。研究の詳細は、2007 年4 月16-20 日に、米国科学アカデミー紀要(PNAS)オンライン版で先行発表されます。
ヒトを含めた多くの多細胞生物の体は、大きく2種類の細胞から構成されています。1つは筋肉や神経など私たちの体を構成する体細胞です。もう1つは卵や精子である生殖細胞です。生殖細胞は、個体発生の初期段階で形成される始原生殖細胞に由来します。始原生殖細胞は将来の卵巣や精巣になる部位(生殖巣)へ移動し、そのなかで卵や精子へと分化します。キイロショウジョウバエでは、卵の後端の細胞質(生殖質と呼ばれている)中に始原生殖細胞の形成や生殖細胞の分化に必要な分子が含まれており、これら分子を生殖質ごと取り込んだ細胞のみが始原生殖細胞となります(図1)。このような分子の一つとしてNanos(ナノス)と呼ばれるタンパク質が知られています。当研究室のこれまでの研究により、このタンパク質の機能を失なわせると、始原生殖細胞は生殖巣への移動途中に細胞死を起こしてしまうことが明らかとなっていました(Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 101, 10338-10342., 2004)。このことから、ナノス・タンパク質は始原生殖細胞の細胞死を抑制する機能を持つと考えられてきました。しかし、その詳細なメカニズムについては明らかにされておらず、解明が待ち望まれていました。
図1: (A) ショウジョウバエの受精卵。写真左側が将来頭部となり、右側が腹部となる。茶褐色に染色された部分(矢印)に、生殖質が存在する。(B) 形成された始原生殖細胞(矢尻)。染色されていない細胞(矢印)は体細胞。(C) 生殖巣へ移動中の始原生殖細胞群(矢印)。
岡崎統合バイオサイエンスセンター/基礎生物学研究所の佐藤仁泰研究員、林良樹研究員(現ミネソタ大学研究員)、小林悟教授らの研究グループは、正常な始原生殖細胞で、細胞死を誘導する遺伝子(細胞死誘導遺伝子: hid)が発現していることを見出しました(図2)。通常、細胞死誘導遺伝子は細胞死を起こすべき細胞に発現するもので、生存すべき細胞で発現しているという現象は大変めずらしいケースです。さらに、「細胞死誘導遺伝子が発現しているにも関わらず、実際に細胞死が誘導されない」のはナノス・タンパク質がこの遺伝子の活性を抑制しているためであることも明らかになりました。通常、遺伝子はDNAからRNAが転写され、RNAからタンパク質が作り出される2段階のステップで活性化されますが、ナノス・タンパク質はこの2段階目の「翻訳」と呼ばれるステップを抑制していました。正常な始原生殖細胞では、細胞死誘導遺伝子のRNAが発現しているにもかかわらず、ナノス・タンパク質によりその「翻訳」が抑制されるため、細胞死は誘導されないというわけです。ナノス・タンパク質は、始原生殖細胞の運命を決定する役割も併せ持つことも当研究室の研究から明らかになっており、このような重要な機能を持つナノス・タンパク質の量が減少した“異常な始原生殖細胞”を排除するためにこの機構が存在すると考えられます(図3)。この機構は、正常な生殖細胞を次世代へと受け継がせるという意味では、非常に理にかなったものといえます。
図2:生殖巣へ移動中の始原生殖細胞群。緑色は始原生殖細胞を、マゼンタ色は細胞死誘導遺伝子(hid RNA)の発現を示す(矢尻)。
図3:始原生殖細胞の細胞死制御メカニズム
(左図) 正常な始原生殖細胞。細胞死誘導遺伝子が発現しているが(ステップ1)、Nanosタンパク質がステップ2への移行を抑制しているため、細胞死誘導タンパク質が生産されない。結果として、始原生殖細胞は生存する。 (右図) Nanosタンパク質を欠いた始原生殖細胞。細胞死誘導遺伝子から細胞死誘導タンパク質が生産される。結果として、始原生殖細胞は細胞死する。
本研究はモデル生物であるキイロショウジョウバエを用いて始原生殖細胞の生存メカニズムを明らかにしました。ナノス・タンパク質はショウジョウバエ以外にもマウスや魚や線虫などでも始原生殖細胞の生存に関わっていることが報告されているほか、近年では、ヒトにも存在することが明らかになってきています。したがって、今回の研究成果はヒトを含めた多くの動物における生殖細胞研究において、生殖細胞がどのようなメカニズムで正常に形成されるかという問題に迫るための重要な基盤になると考えられ、将来、生殖医療分野への展開も期待されます。
Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America (米国科学アカデミー紀要)
(2007年4月16-20日online版先行発表)
論文タイトル:
Maternal Nanos represses hid/skl-dependent apoptosis to maintain the germline in Drosophila embryos
著者:
Kimihiro Sato, Yoshiki Hayashi, Yuichi Ninomiya, Shuji Shigenobu, Kayo Arita, Masanori Mukai and Satoru Kobayashi
(佐藤仁泰, 林良樹, 二宮祐一, 重信秀治, 有田佳代, 向正則, 小林悟)
本研究は、基礎生物学研究所 発生遺伝学研究部門の研究グループ( 佐藤仁泰 研究員、林良樹 研究員、二宮祐一 研究員(現 埼玉医科大学)、重信秀治 助手、有田佳代 研究員,野田千代 技術職員、小林悟 教授 )により実施された。
基礎生物学研究所 発生遺伝学研究部門
教授 小林 悟
Tel: 0564-59-5875(研究室)
E-mail: skob@nibb.ac.jp
URL: http://www.nibb.ac.jp/cib1/
基礎生物学研究所 連携・広報企画運営戦略室
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