基礎生物学研究所
2017.11.07
細胞が集団で移動する「細胞集団運動」と呼ばれる現象は、胚の発生や損傷治癒、癌細胞の浸潤などで観察される現象です。細胞集団運動を理解することはこれらの過程を理解し制御することにつながると考えられています。1つ1つの細胞がどのようにして秩序だった集団運動を生み出すのか、とくにどういった情報を使って細胞集団運動の方向性を決めているのか、そのメカニズムについてはよく分かっていませんでした。
今回、基礎生物学研究所/岡崎統合バイオセンター 定量生物学研究部門の青木一洋教授、近藤洋平助教、伊藤玲奈研究員らは、京都大学の松田道行教授、本田直樹特任准教授、平塚徹らとの共同研究により、ERKと呼ばれる分子の活性が細胞間で伝搬し、その方向に向かって細胞が集団で移動することを見出しました。さらに、光遺伝学的な手法により人工的にERK分子活性の波を作り出すことで、細胞を集団で移動させることに成功しました。これらの結果から、ERK分子の活性の伝搬方向を目印に細胞は集団で移動することが分かりました。本成果は、米国の学術誌「Developmental Cell」誌に掲載予定で、2017年11月7日にオンライン先行公開される予定です。
【研究の背景】
私たちの体を構成する細胞は、アクチンなどの細胞骨格をつかって自走します。この現象は細胞運動と呼ばれています。例えば、免疫系の細胞が体内の異物を認識しその方向に移動する走化性などで典型的な細胞運動が観察されます。ここでいう細胞運動は1細胞レベルの運動であり、誘引物質や忌避物質の空間勾配を認識して細胞の移動方向が決まることが多くの研究から明らかになっています。一方、別の様式の細胞運動である「細胞集団運動」は、細胞が回りの細胞と接着しながら集団となって移動する現象を指します。このような細胞集団運動は、受精卵から胚発生が進んで形態形成ができるときや、傷口の上皮細胞がそれを治癒するように移動するとき、また癌細胞が原発巣から浸潤・転移するときなどに観察されます(図1)。細胞集団運動を理解することはこれらの過程を理解し制御することにつながると考えられます。しかし、1つ1つの細胞はまわりの局所的な情報しか得ることができないにもかかわらず、どのようにして秩序だった集団運動を生み出すのかについては多くの謎が残っていました。とくに、どのような情報を使って細胞集団運動の方向性を決めているのか、そのメカニズムについてはよく分かっていませんでした。
図1:細胞の集団運動
セリン/スレオニンリン酸化酵素ERKは、細胞の増殖や分化、癌化に深く関連する分子です。研究グループは、以前にERK分子の活性が細胞間で伝搬すること、またERK分子活性の周波数に応答して細胞の増殖速度が制御されていることを報告しています。これらの状況証拠から、研究グループはERK分子活性の細胞間の伝搬波が細胞集団運動の方向性を決めるのではないかと考えて研究を行いました。
【研究の成果】
研究グループは、独自に開発した蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)の原理に基づくバイオセンサー(EKAREV)を使い、ERK分子の活性を生きた細胞で可視化しました(図2)。
図2:ERK分子の活性を可視化するために独自開発したバイオセンサー EKAREV
まず、ERKのFRETバイオセンサーEKAREVを発現するトランスジェニックマウスを用いて、耳において傷口が治癒する過程の上皮細胞を二光子励起レーザー顕微鏡で観察したところ、傷口からERK活性の細胞間伝搬が観察され、上皮細胞はその伝搬方向とは逆方向に、傷口を埋めるように移動することが分かりました(図3上)。また、上皮細胞由来の培養細胞であるMDCK細胞を用いて、創傷治癒の実験を行ったところ、傷口の先端から細胞集団に向かって大きなERK活性の伝搬波が観察されました(図3中)。このとき、細胞はERK活性の伝搬波がやってきた方向に向かって集団運動することが分かりました。さらに、MDCK細胞を円形の領域で培養すると、自発的にERK活性の回転波ができ、細胞はその方向とは逆方向に回転するという現象が観察されました(図3下)。これらの結果から、細胞は集団運動をする際、ERK分子の活性の伝搬方向とは逆方向に向かって移動する、といことが示唆されました。
図3:様々な細胞集団運動において可視化されたERK活性の伝播の様子
これらの現象は、ERK活性の伝搬方向が細胞集団運動の方向を決定していることを示していますが、あくまで相関関係であり、因果関係を示しているわけではありませんでした。この因果関係を厳密に示すため、研究グループは、青色光でERK分子を活性化させる光遺伝学的手法を開発し(図4左)、人工的にERK活性の伝搬波を再構成しました(図4中)。その結果、期待通り、ERK活性の人工的な伝搬波を与えると、MDCK細胞は逆方向に集団で移動を開始することが分かりました(図4右)。また興味深いことに、細胞集団運動を引き起こすための最適なERK活性の伝搬速度があることも分かりました。
図4:人工的にERK活性の伝搬波を再構成する手法とそれによって生じる細胞運動の様子
最後に、数理モデルとコンピューターシミュレーションにより、ERK活性の細胞間伝搬による細胞集団運動に必要な因子が何かを解析しました。その結果、実験結果から得られていた2つの因子が重要であることが分かりました。1つ目はERK分子が活性化すると細胞の体積が増えること、2つ目はERK分子が活性化すると細胞が動きやすくなること、の2点です。これらの条件とERK活性の伝搬を組みこむことで、容易に細胞集団運動をコンピューター上で再現することが分かりました(図5)。光遺伝学の実験で示された細胞集団運動を引き起こすための最適なERK活性伝搬速度についても、この数理モデルで説明できることが分かりました。重要なことは、このモデルでは、1つ1つの細胞はどちらからERK活性の伝搬が来たかを認識する必要はない、つまりポラリティ(方向性)を持つ必要がなく、単なる物理的な性質の時空間変調だけで集団運動が引き起こされる、という点です。
図5:数理モデルとコンピューターシミュレーションによる検討
【今後の展望】
今回、研究グループはERK活性の細胞間伝搬により細胞集団運動の方向づけられることを示すこと成功しました。今後の展望として、1つはこのような自走性の粒子が集まったときに見られる協調性を理論的に解析するアクティブマター物理学への展開が考えられます。また、もう一つの展開として、ERK活性の細胞間伝搬を光で操作し、複雑な3次元形態を自由に操作するための技術開発が考えらます。本研究は主に培養細胞を使った実験でありましたので、生体内でのERK活性の細胞間伝搬の役割について解明が期待されます。
【発表雑誌】
雑誌名 Developmental Cell
掲載日 2017年11月6日(12:00 Noon EST)
論文タイトル: Propagating wave of ERK activation orients collective cell migration.
著者:Kazuhiro Aoki, Yohei Kondo, Honda Naoki, Toru Hiratsuka, Reina E. Itoh, and Michiyuki Matsuda
DOI: http://dx.doi.org/10.1016/j.devcel.2017.10.016
【研究グループ】
本研究は、岡崎統合バイオサイエンスセンター/基礎生物学研究所の青木 一洋教授、京都大学大学院生命科学研究科の松田 道行教授による共同研究グループの成果です。
【研究サポート】
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業・新学術領域「生物の3D形態を構築するロジック」、「共鳴誘導で革新するバイオイメージング」、基盤研究(B)特設分野(16KT0069)、AMED創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業 生命動態システム科学推進事業「多次元定量イメージングに基づく数理モデルを用いた動的生命システムの革新的研究体系の開発・教育拠点」、科学技術振興機構CREST(JPMJCR1654)の支援のもと行われました。
【本研究に関するお問い合わせ先】
基礎生物学研究所 定量生物学研究部門
教授 青木 一洋(アオキ カズヒロ)
TEL: 0564-59-5235
E-mail: k-aoki@nibb.ac.jp
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
TEL: 0564-55-7628
FAX: 0564-55-7597
E-mail: press@nibb.ac.jp