基礎生物学研究所
2016.02.11
基礎生物学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター(神経細胞生物学研究室)/総合研究大学院大学の大橋りえ大学院生、椎名伸之准教授の研究グループは、藤田保健衛生大学/生理学研究所の宮川剛教授、富山大学/生理学研究所の高雄啓三教授との共同研究で、RNG105 (Caprin1) 遺伝子のヘテロ欠損(一対の遺伝子のうち片方を欠損)が「社会性の低下」、「目新しさへの反応(興味)の低下」、「状況変化への対応の低下」といった行動特性と関連することを明らかにしました。
RNG105 (Caprin1)は、神経細胞内においてシナプス刺激に応じて引き起こされる局所的なタンパク質合成に関わる因子として知られています。研究グループは、マウスを用いてRNG105ヘテロ欠損が行動にどのような影響を与えるのか、網羅的な行動テストを行いました。その結果、RNG105ヘテロ欠損マウスは、「社会的相互作用の低下」、「目新しいマウス・物体・空間への反応(興味)の低下」といった行動特性を示すことが明らかになりました。また、迷路を用いた課題では、学習・記憶の能力は平均かそれ以上であるものの、「状況変化への対応を苦手とする」ことが明らかになりました。本研究の成果は、2016年2月11日に英国オンライン科学誌Scientific Reportsに掲載されます。
【背景】
神経活動依存的なタンパク質合成は、脳機能、特に学習・記憶に必要であり、近年は自閉症スペクトラム(ASD)などの神経発達障害にも関連することが示唆されています。しかし、そのようなタンパク質合成と脳機能とを繋ぐしくみについては、多くが未解明の問題として残されています。研究グループは、それを解く一つの鍵分子として、RNG105 (Caprin1) の研究に取り組んでいます(図1)。RNG105 (Caprin1)はmRNA輸送に関わるRNA結合タンパク質であり、これまでに、神経細胞における局所的タンパク質合成に関わることを明らかにしてきました。
2013年、他のグループの研究により、自閉症スペクトラム(ASD)と診断された複数の人の全ゲノム配列が決定され、そのうちの一人にRNG105 (Caprin1) のヘテロ*1de novo*2ナンセンス*3変異があることが報告されました。しかしながら、RNG105ヘテロ変異がASD行動特性の直接的な原因となりうるのか、その因果関係は明らかにされていませんでした。
今回、研究グループは、RNG105ヘテロマウスを用いて網羅的行動テストを行い、RNG105ヘテロ欠損*4が行動に及ぼす影響を解析しました。
図1.神経細胞における局所的タンパク質合成
神経細胞では特定のmRNA(タンパク質合成の鋳型となる)が樹状突起へ輸送され、シナプス刺激に応じて局所的にタンパク質が合成され、シナプスが強化される。RNG105はこの制御機構の中でも特にmRNA輸送に関わるRNA結合タンパク質である。
【研究成果】
研究グループは、RNG105ヘテロマウスを用いて、網羅的な項目(身体的特徴、活動性、不安様行動、うつ様行動、社会性、感覚、驚愕反応、学習・記憶など)に関して解析を行いました。その結果、RNG105ヘテロマウスは野生型マウスと比較して、主に以下の3点で行動特性に違いが見られました。
① 社会的相互作用の変化
ケージ内で2匹のマウスの相互作用を7日間モニタリングしました。その結果、マウスの活動期である夜間、RNG105ヘテロマウスは野生型マウスと比較して、互いに接触せずに離れて行動する時間が長いことが分かりました。
また、社会的新奇探索性テスト(図2)では、初めてコンタクトする新奇マウスと、それまでにコンタクトしたことのある既知マウスとの、どちらに多くのアプローチ(興味)を示すかを測定しました。その結果、野生型マウスは既知マウスより新奇マウスに対して多くアプローチしたのに対し、RNG105ヘテロマウスは両者に対して同程度のアプローチを示しました。
以上の結果から、RNG105ヘテロマウスでは社会的相互作用が低下し、新奇マウスと既知のマウスとの間の識別能力、あるいは新規マウスに対する興味が低下していることが明らかになりました。
② 新奇対象への反応(興味)の低下
①と同じ方法で、マウスではなく物体を用いた新奇物体認識テストを行いました(図3)。その結果、マウスを用いた時と同様、野生型マウスは既知の物体より新奇の物体に対して多くアプローチしたのに対し、RNG105ヘテロマウスは両者に対するアプローチが同程度でした。
さらに、初めて身を置く空間と経験のある空間との間で、空間認識テストを行いました。その結果、野生型マウスは初めての空間に置かれた場合のみ活動が上昇した、すなわち興味を持った、のに対し、RNG105ヘテロマウスはどちらの空間に置かれても同程度の活動性を示しました。
以上の結果から、RNG105ヘテロマウスは、マウスに対してのみならず、物体や空間といった条件においても、新奇対象と既知対象との間の識別能力、あるいは新奇対象への興味が低下していることが明らかとなりました。
③ 状況変化への対応の低下
複数の学習・記憶課題を行った結果、いずれのテストにおいても、通常の学習では、RNG105ヘテロマウスは野生型マウスと同等あるいはそれ以上の成績を示しました。しかしながら、迷路の正解の位置を変更する逆転学習課題では、異なる行動特性を示しました。今回用いた課題の一例、バーンズ迷路(図4)は、円盤上に空いた穴のうち、回避箱が設置された正解の穴の位置を覚えるという学習課題です。この迷路を用いた通常の学習では、RNG105ヘテロマウスは野生型マウスと同等の成績を示しました。しかしその後、正解の穴の位置を変更する逆転学習を行った結果、RNG105ヘテロマウスは正解に到達するまでの時間が野生型マウスよりも有意に長くかかりました。このことから、RNG105ヘテロマウスは通常の学習と比較して、状況を変化させた場合の学習を苦手とする傾向を示すことが分かりました。
以上の行動テストの結果をまとめると、RNG105ヘテロ欠損が「社会性の低下」、「目新しさへの反応(興味)の低下」、「状況変化への対応の低下」といった行動特性に繋がることが明らかになりました。
社会性の低下が起こる複数のASDモデルマウスでは、それと同時に神経細胞におけるAMPA受容体*5の機能変化が起きていることが数例報告されています。そこで、神経初代培養細胞を用いてAMPA受容体の発現を解析しました(図5)。その結果、神経活動情報の受け取り側である樹状突起の表面におけるAMPA受容体の提示が、野生型ニューロンと比較してRNG105ヘテロ欠損ニューロン (RNG105+/-) では減少傾向を示し、RNG105ホモ欠損*6ニューロン (RNG105-/-) では有意に低下していました。このことから、RNG105欠損マウスでは、神経細胞におけるAMPA受容体の表面提示機能が低下していることが示唆されました。
図2.RNG105ヘテロマウスでは社会的相互作用が変化した
(a)社会的新奇探索性テストの模式図と結果の要約。野生型マウスは新奇マウスに多くのアプローチを示したのに対し(緑線)、RNG105ヘテロマウスは新奇マウス・既知マウスに同程度のアプローチを示した(橙線)。(b)マウスの滞在時間をヒートマップで示したもの。赤色になるほど実験マウスの滞在時間が長い場所であることを示す。(c)既知マウス・新奇マウスそれぞれの周りに、実験マウスが滞在した時間を定量解析したグラフ。
図3.RNG105ヘテロマウスは新奇対象へのアプローチが低下した
(a)新奇物体認識テストの模式図と結果の要約。野生型マウスは新奇物体に多くのアプローチを示したのに対し、RNG105ヘテロマウスは新奇物体・既知物体に同程度のアプローチを示した。(b)既知物体・新奇物体それぞれの周りに実験マウスが滞在した時間を定量解析したグラフ。
図4.RNG105ヘテロマウスは変化への対応を苦手とする傾向が見られた
(a)バーンズ迷路の模式図。マウスは、回避箱が円盤の下側に設置された穴(正解)の位置を、部屋の四隅に置いてある物体を目印として覚える。逆転学習では、正解の位置が180度反転する。(b)通常の学習と逆転学習において、正解に到達するまでの時間。
図5.RNG105欠損ニューロンではAMPA受容体の細胞表面提示が低下した
(a)AMPA受容体を抗体染色した神経初代培養細胞。左側に細胞体があり、そこから右に向かって樹状突起が伸びている。AMPA受容体は点状に染色されている。スケールバー, 10 µm。(b)AMPA受容体の細胞表面提示を定量化したグラフ。樹状突起部分における全AMPA受容体に対する細胞表面に局在するAMPA受容体の数の比。*, p<0.05
【本研究の意義と今後の展開】
本研究では、「社会性の低下」、「目新しさへの反応(興味)の低下」、「状況変化への対応の低下」といった行動特性が、RNG105 (Caprin1) 遺伝子のヘテロ欠損によって生じることを明らかにしました。これは、この3つの行動特性が互いに関連性を持ち、一つの遺伝子の変化で同時に変わりうることをマウスにおいて示した新たな知見となりました。本研究ではこれらの行動特性がRNG105の遺伝的要因によって生じることを示しましたが、個々の行動特性については他の遺伝子の関与や遺伝以外の要因も多数報告されており、これらの行動特性を生み出す共通のしくみの解明が待たれます。
今後はそのしくみの解明に向け、RNG105ヘテロマウスで見られた行動特性がどのような分子機構によりもたらされるのかを解明することが重要な課題です。研究グループは現在、RNG105が神経細胞においてどのような種類のタンパク質の合成制御に関与するのか、また、それらRNG105によって合成制御されるタンパク質が、AMPA受容体の制御や神経機能とどのように関わるのか、その解明に向けて研究を進めています。
RNG105遺伝子の発現低下は、今回明らかにされた行動特性を引き起こしましたが、遺伝子発現がさらに低下することによって学習・記憶などにも影響すると推定され、研究グループは新たなRNG105遺伝子改変マウスの作出、解析にも取り組んでいます。こういったマウスが、ASDも含め、「社会性」、「目新しさへの反応(興味)」、「状況変化への対応」、「学習・記憶」などの行動特性発現のしくみを理解する上で、また医療面において、優れたモデルとして貢献することが期待されます。
【用語説明】
*1ヘテロ変異:一対の遺伝子のうち片方に変異が入っている状態。
*2de novo変異:親は変異をもっておらず、新規に起こった変異。
*3ナンセンス変異:遺伝暗号が「終止」になり、遺伝子産物(タンパク質)が合成されない変異。
*4ヘテロ欠損:一対の遺伝子のうち片方が欠損している状態。
*5AMPA受容体:後シナプス膜上に局在し、興奮性の神経伝達物質であるグルタミン酸の受け取り手として働き、シナプス可塑性を担う分子。
*6ホモ欠損:一対の遺伝子の両方が欠損している状態。
【掲載紙情報】
Scientific Reports誌 2016年2月11日掲載
著者:Rie Ohashi, Keizo Takao, Tsuyoshi Miyakawa & Nobuyuki Shiina
【研究グループ】
本研究は、基礎生物学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター(神経細胞生物学研究室)/総合研究大学院大学の大橋りえ大学院生、椎名伸之准教授と、藤田保健衛生大学/生理学研究所の宮川剛教授、富山大学/生理学研究所の高雄啓三教授との共同研究により実施されました。マウスの行動テストは生理学研究所 共同利用研究によるサポートを受けました。
【研究サポート】
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業 新学術領域研究「包括型脳科学研究推進支援ネットワーク」および大幸財団の支援を受けて行われました。
【本研究に関するお問い合わせ先】
基礎生物学研究所・岡崎統合バイオサイエンスセンター
神経細胞生物学研究室
准教授:椎名 伸之(シイナ ノブユキ)
TEL:0564-55-7620
E-mail:nshiina@nibb.ac.jp
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
TEL:0564-55-7628
FAX:0564-55-7597
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