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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

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2010.03.19

多く、長く、精子を作り続ける秘訣
~ほ乳類精子形成における新しい分化モデル~

ヒト男性の精巣では、一日に1億にもおよぶ精子を約50年にわたって作り続けます。この、沢山の精子を長い期間作り続けるという、生命にとって極めて重要な営みは、どんな細胞が支えているのでしょうか?従来、精巣の中の、ごく少数の自己複製能力を持つ限られた特別の細胞(幹細胞)だけが、この役目を果たしていると信じられて来ました。今回、基礎生物学研究所の吉田松生教授、京都大学の中川俊徳研究員、鍋島陽一教授らの研究グループは、マウスを用いた研究によりこの問題に挑戦しました。その結果、精子へと変わり始めた細胞が、しばらくの間は自己複製できる潜在能力を保っていて、幹細胞に何かあった時にはいつでも幹細胞に取って代われることが分かりました。実際、精巣が障害を受けた時には、これらの細胞の潜在能力が発揮され、速やかに障害を修復して精子の数を保とうとする事が明らかになりました。このように、従来信じられて来たよりもはるかに多くの細胞のグループが、継続する精子形成を支えているのです。これは、40年近く信じられて来たモデルを修正するものでした。以上の結果は、2010年3月19日発行の米国科学雑誌サイエンス(電子版)に掲載されます。

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ライブイメージングが捉えた、精子のおおもと細胞の「逆戻り」
連結した精子のおおもと細胞がちぎれて短くなった一例。緑色蛍光タンパク質(GFP)を用いて細胞に光る標識をつけて顕微鏡観察した。16個の連結細胞から2つの細胞がちぎれて分かれた(矢印)。この後、別の2個の細胞(星印)もちぎれた。


[研究の背景]

精巣では長期間にわたって、多数の精子が作られています。それでも精子が尽きることが無い訳は、”精子のもとになる細胞(幹細胞)”が自己複製を行って保たれているからです。従来、マウスの精子形成は、「As型精原細胞」と呼ばれる少数の細胞だけが自己複製をおこなうことで支えられていると考えられてきました。この細胞は、体を構成する多くの細胞と同じように単独の細胞ですが、精巣の中では0.1%に満たない、ごく少数派です。この細胞が精子へと変わっていく時には、細胞分裂の際に細胞質が完全に分裂せずに、2つの娘細胞が連結したままとなります。その後、分裂する度に連結細胞の数は、2, 4, 8, 16… と倍々に増えて行きます。そして、この連結した細胞はすでに”精子のもと”としての自己複製の能力を失っていると考えられてきました。「Asモデル」と呼ばれるこの考え方(図1)は、固定された精巣標本を詳細に観察して、1971年に提唱されました。このモデルを評価するためには、生きた細胞の動きを追跡することが必要ですが、それを可能にする技術は、永く現実のものとなっていませんでした。

[研究の成果]

本研究グループは、緑色蛍光タンパク質(GFP)を用いて細胞のふるまいを生きたまま顕微鏡観察するライブイメージング実験を開発し、精子形成幹細胞の挙動を研究してきました。その結果、連結した細胞がちぎれて、As型精原細胞や短い連結細胞と変わる場合があることを発見しました(図2)。このことは、連結した細胞は絶対に自己複製しない、という訳ではなく、幹細胞に戻り得る事を示唆します。さらに、遺伝子発現を詳しく解析し、特定の細胞に目印を付けてその後の運命を追跡することによって、細胞のふるまいを総合的に解析しました。その結果、継続する精子形成は、少数のAs型精原細胞だけが支えているのではないと言うことが分かりました。むしろ、図3のように、精子へと変わり始めて連結した細胞も、しばらくの間は自己複製する潜在能力を失っておらず、幹細胞に戻ることできると分かりました。一方で、As型精原細胞の中にも、精子への分化を始めた一群がいました(自己複製の潜在能力は失っていません)。

精子形成は、精巣が障害を受けた時、速やかに再生して再び多くの精子を作るようになります。実際、精巣が障害を受けた時には、これら分化に向かい始めた細胞たちの潜在能力が発揮され、速やかに障害を修復して精子の数を保とうとする事が明らかになりました。これらの結果は、従来「Asモデル」の中で考えられて来たよりもはるかに多くの細胞グループが、精子形成を支えていることを意味します。これが、組織を速やかに再生し、長期にわたって安定した精子形成を維持するための仕掛けなのです。

近年、培養や移植といった精子形成幹細胞のマニピュレーションが可能となっています。これらは、発生工学、畜産や育種、医学への応用を視野に入れて、注目を集めています。精巣組織の中で実際に観察される幹細胞の性質は、基礎生物学的に重要な現象を解明するとともに、幹細胞を人が制御しようとする際に重要な情報を与えてくれると考えています。

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図1:従来考えられて来た精子形成幹細胞の自己複製と分化のモデル
単独で存在するAs型精原細胞が唯一つの自己複製する幹細胞であり、2個以上つながった細胞は不可逆的に分化が運命づけられているとする説。


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図2:連結した精原細胞がちぎれる時のライブ画像の一例(下は模式図)
最初8個の連結細胞だったものが分裂、16個になった後に2個の連結細胞が2つちぎれた(ピンクとオレンジで示す)。12個の連結細胞(緑)はその後死に、残った2個の細胞はそれぞれ分裂して4個の連結細胞となった。


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図3:本研究の結果を考慮に入れた精子形成幹細胞の新しいモデル
2個以上連結した精原細胞も、時にちぎれて、一個または短い連結細胞となる。As型精原細胞と比較的短い連結細胞が行ったり来たりすることにより「幹細胞システム」が成り立っている、と考えることができる。


[発表雑誌]

米科学雑誌 Science(サイエンス)電子版 2010年3月18日号掲載(日本時間3月19日)

論文タイトル:
"Functional Hierarchy and Reversibility within the Murine Spermatogenic Stem Cell Compartment"

著者:Toshinori Nakagawa, Manju Sharma, Yo-ichi Nabeshima, Robert E. Braun, and Shosei Yoshida

[研究グループ]

本研究は基礎生物学研究所の吉田松生教授、京都大の中川俊徳研究員、鍋島陽一教授、米国ジャクソン研究所のRobert E. Braun教授らによる研究グループにより行われました。

[研究サポート]

本研究は、文部科学省科学研究費補助金 新学術領域研究(配偶子幹細胞制御機構)、米国NICHD/NIH科学研究費、内藤記念科学振興財団、上原記念生命科学財団のサポートを受けて行われました。

[本件に関するお問い合わせ先]

基礎生物学研究所 生殖細胞研究部門
教授 吉田 松生 (ヨシダ ショウセイ)
Tel: 0564-59-5865(研究室)
E-mail: shosei@nibb.ac.jp

[報道担当]

基礎生物学研究所 広報国際連携室
倉田 智子
Tel: 0564-55-7628
E-mail: press@nibb.ac.jp