大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

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修了生の声

修了生の声 福島健児さん (コロラド大学 研究員)

 

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 私が総合研究大学院大学基礎生物学専攻の5年一貫博士課程で食虫植物の研究を始めたのは2010年春のことです。中学生の頃に芽生えてその後一旦は枯れてしまった植物への興味が再燃したのは、なんとこの世には動物を狩る植物がいるらしいという驚きがきっかけでした。そのとき生じた推進力で愛知県岡崎市まで辿り着き、基礎生物学研究所の長谷部光泰先生のもとで、当時の驚きを科学的問いに写し直す作業が始まりました。

 

 長谷部研究室は研究材料のるつぼでした。コケ植物ヒメツリガネゴケの再生や発生が研究室の主流テーマではありましたが、それを尻目に複数の学生・ポスドクが思い思いの材料で独自の研究を進めていました。ヒメツリガネゴケの培養プレートがうず高く積まれる実験台の横で、ハナカマキリやクルミホソガが跳ね、あるいはタバコの培養細胞が揺られ、あるいはドクダミやオジギソウなど奇抜な植物が運ばれてくる光景が研究室の日常でした。外部から訪問された研究者にラボ内を紹介して回ると、「ここの研究室はその辺の学科よりも研究が多様だね」などと呆れとも感心ともとれる感想が得られました。試行錯誤の多い研究テーマばかりでしたが、若手の自主性に寛容な雰囲気は誇るべき特色であったと思います。思い返せば、直接に若者を指南することこそ多くはありませんでしたが、成長を決して阻害しないだけの資源と機会を確保する努力があったのだろうと思います。学生であった私は専らその恩顧をこうむるばかりでした。

 

 さて、いざ入学が許されると決まった後、少なからずの準備をしました。食虫植物の進化を考えるにあたって、最初に形の研究が面白そうだと思い至りました。植物の葉は大抵平らなものですが、食虫植物の中には壺型の葉を作るものがいます。平らな葉のどこを変えれば壺形になるか、その仮説と研究計画を練りました。“仮説”などといういかにも科学的な匂いのする大仰なものを作ってやったぞウハハハと、少し自信を持って研究室の門を叩きました。研究室の末席に連なってすぐに察せられたのが、当時在籍されていた先輩方が傑物揃いだったということです。彼らの研究計画は緻密でした。そしてその計画の目的とするところが実に面白い。確かにその通りに事を進めれば目的を達するだろうという説得力を伴っていました。たとえば、当時日本学術振興会特別研究員PDとして在籍されていた大島一正博士(現・京都府立大学)は、潜葉性昆虫クルミホソガにクルミ食の集団とネジキ食の集団がいることに着目して、集団遺伝学を駆使して食草転換を可能にする遺伝的基盤を研究されていました。それは明らかに私には思いつけない問題設定とアプローチでした。そういった研究に触れてから自分の研究計画を見返すと、とても陳腐なものに思えました。先輩たちのような芸当が自分にもできるだろうかと、最初の数ヶ月は悶々と過ごしたのを記憶しています。

 食虫植物ムラサキヘイシソウを材料に、土台は陳腐ながらも当初の計画をツギハギして研究を進めてみると、一旦は仮説に合う結果が得られました。これはすぐさま論文になるぞと意気込んで実験を繰り返してみると、どうにも違った結果になります。「前回の結果は何かの間違いだったのでまた一から考え直しです」とラボミーティングで報告すると、セミナー室の奥に陣取った長谷部先生が「君は今2つの結果を持っているだけだから、矛盾していると考えるのは早計だ」と意見をぶつけてきました。ミーティングは英語で行われていたので実際にはニュアンスの違う表現だったかもしれませんが、とにかく、新しく得られた結果こそが真で古いデータはすべて間違いだと断じる私の態度に疑問を投げかける内容でした。意見を受けた直後は、現場で実際に手を動かしている自分の判断こそ正しいはずだと否定的に考えたものですが、一晩寝かせてみると情緒的な反発が抜けて、一考の余地はあるかもしれないと思いはじめました。その後、確かに2つの結果はどちらも正しく、捕虫葉の形作りの過程で結果1の状態から結果2の状態へと移り変わることが明らかになり、研究は大きく前進することになりました。いくらかのデータを伴ったこともあり、その頃には愛着を差し引いてもなお学問的魅力を備える研究になりつつあったと思います。その後、所内の飲み会で始めた議論が発展して、同研究所の藤田浩徳博士らと数理シミュレーションの共同研究が始まり、その結果が仮説検証の決定打となって2015年に無事論文を発表することができました。

 

 あるとき、これまたラボミーティングで「君のデータ処理は甚だ間違っている」と先輩諸氏から指摘を受けたのと、当時の私の目線からは魔術めいて見えた統計学へのミーハー心から、研究所の統計勉強会へと通い始めました。勉強会は、教科書を各自予習しながら互いの疑問を解決するという相互扶助の理想を掲げ、その実、会の発起人であり統計学に習熟した佐藤昌直博士(現・北海道大学)にその他大勢が教えを請うという構図でした。私もその他大勢の一員として佐藤博士の親切に寄生するかたちで、なんとか学習曲線の停滞期を抜けることができました。一旦理解が進み始めるとあとは楽しいもので、教科書の例題をこなしていくうちに「とにかく3点ずつ反復実験をやって検定と名のつく呪文で有意差と呼ばれる印籠が得られればそれでよいのだろう」と、今思えば甚だ統計を軽んじていた態度の私であっても、統計解析用のプログラミング言語Rを使い、データの分布を見ながら統計モデルを選ぶ、といった作法が身についていきました。統計の初歩を学べたことで、思考停止3回反復の実験スタイルもいくらか改善されたように思います。統計に限らず、基生研では若手を中心にした勉強会がゆるやかにターンオーバーしながら常時複数運営されているようです。有志の勉強会で得た知識や方法論は取得単位数には影響しませんが、私の基生研生活の中で最も実用的な学びであったように思います。

 

 在学中、ムラサキヘイシソウの研究と並行してもうひとつ研究プロジェクトを進めていました。食虫植物フクロユキノシタを使った研究です。この植物はとても特徴的で、ムラサキヘイシソウと同じように袋型の捕虫葉を作るのですが、それに加えて普通の植物と同じような平らな葉も作ることができるのです。捕虫葉は平らな葉から進化したことが分かっているので、フクロユキノシタの中には祖先と子孫が同居しているようなものです。二種類の葉を一個体の植物の中で比較できれば、食虫植物の進化研究は飛躍的に進むと考えました。

 

 そこでまずは葉の作り分けの制御に取り組みました。フクロユキノシタをとにかく様々な環境で培養して、どちらかの葉だけを作る条件を見つけようという目論見です。フクロユキノシタは成長が遅いため、植え継ぎ後三ヶ月程度待って作り分けの結果が分かります。必然的に暢気な実験になるので、できるだけたくさんの条件を同時に試したいと考えました。「年単位で人工気象機を8台くらい使いたいけれど入学初年度の大学院生に割けるリソースじゃないよな」などと考えながらもダメで元々とモデル植物研究支援室へお伺いを立ててみると、意外にも「ちょっと型が古いけど」と控えめな前置きとともに8台の人工気象機を即日貸し出してくれました。このおかげで、光量・光質・光周期・栄養・植物ホルモンなど思いつく限りの条件検討を実施することができ、温度の違いによって最も顕著に葉の作り分けを制御できることがわかりました。

 

 研究所からのリソース支援はそればかりではありません。あるとき参加した国際学会のツテで総説論文を書かないかという依頼があったので、葉の形の多様化をテーマに執筆することにしました。園芸店を巡って買い漁った奇々怪々な植物の形作りについて、最新の知見でどこまで説明可能かを議論した総説は納得のいく出来になりました。その過程で大温室の半分を単独使用できていたのも、基礎生物学研究所の懐の深さゆえでしょう。総研大からの支援にも大いに助けられました。総研大には気前のよい海外学生派遣事業があり、それを利用して米国ハーバード大学のElena Kramer教授のもとへ一ヶ月ほど修行に出ました。フクロユキノシタの遺伝子抑制を実現するためです。派遣期間中の成功には至りませんでしたが、そのとき習得した技術を発展させ、帰国からほどなくしてフクロユキノシタの遺伝子抑制法が確立できました。

 

 フクロユキノシタの2種類の葉で働いている遺伝子を網羅するためにゲノム解読にも取り組みました。フクロユキノシタの核ゲノムはおよそ20億塩基対あります。モデル植物シロイヌナズナの15倍以上ですから、その解読は容易ではありませんでした。しかし、私が基礎生物学研究所に在籍していた2010−2015年は超並列塩基配列読み取り装置、いわゆる次世代シークエンサーが普及し始めた時期で、私もその大波に乗れたのか攫われたのか議論の余地を残しますが、とにかくその恩恵に与りました。Beijing Genomics Instituteや、基礎生物学研究所に設置された当時最新の第三世代シークエンサー(長谷部先生が代表を務めた新学術領域研究「複合適応形質進化の遺伝子基盤解明」において導入)、そして何よりも多数の共同研究者の力を借りながら、核ゲノムの76%程度を読み取り、36,503個の遺伝子を特定しました。遺伝子の解析中にも協力者は増えていき、ベルギー、カナダ、中国、デンマーク、日本、スペイン、米国からの研究者が参加する大きな共同研究へと発展しました。2017年に発表した論文には33名が名を連ね、葉の作り分け実験を起点にして、獲物の誘引・捕獲・消化・吸収に関与する可能性が高い遺伝子を一挙に報告しました。

 

 基生研で研究を始めた当初は、自分は学位をとった後もしばらく食虫植物の研究を続けていくものだと思っていました。しかし、今は米国コロラド大学に研究員として異動し、収斂進化を研究対象に、リソースが豊富だからという理由で動物のゲノム情報の解析に取り組んでいます。食い詰めてやむにやまれずの分野転向であったなら当時の自分に言っても得心してくれるかもしれませんが、実際には自ら進んで食虫植物を放り出しました。それもフクロユキノシタの研究はこれからが本番、軌道に乗ってどんどん成果を出すぞという時期にです。断じて飽きたわけではありません。ゲノムプロジェクトの道すがらに見つけた遺伝子レベルでの収斂進化に抗いがたい魅力を見て、その専門家であるDavid Pollock教授のもとでその研究に専念することを決めました。

 

 収斂進化とは別々の生物が同じような形質を獲得する現象を指します。食虫植物はいくつかの分類群から別々に出現していて互いに良く似るので、形や機能に関する収斂進化の典型例と見做されてきました。それら独立起源の食虫植物たちが同じタンパク質に同じアミノ酸置換を蓄積して消化酵素として利用している、つまり遺伝子レベルでも収斂進化が起こっていることがゲノムプロジェクトの副産物として分かったのです。他人のそら似のはずの生物同士がよく似た遺伝子を使っていたことに、形容し難い衝撃を受けました。


 よく知られた進化学への批判に、「再現可能性は科学の根幹であり、進化は再現不可能であるから科学ではない」というものがあります。細菌の人工進化など実験室で再現可能な進化過程もありますが、たとえば食虫植物などは現状とても作り出せませんから、このような批判を受けたときはぐぬぬと引き下がるほかないかもしれません。しかしどうでしょう。自分で再現せずとも、自然界で既に繰り返し実験が済んでいる例がたくさんあるのです。それが収斂進化です。食虫植物に限らず、鳥類とコウモリの飛翔能力、クジラ・カバ・カモノハシなどの潜水能力、その他生物進化の様々な場面に収斂進化は生じています。そのような複数回進化でどのような遺伝的変化が繰り返され、あるいは繰り返されないか、それを突き詰めていけば、一見して無限にも見える生物の多様化にどのような法則が存在するのか、その答えに手が届くかもしれません。

 

 このような経緯から、私は食虫植物を志して基生研へ辿り着き、そこで収斂進化に逢着して基生研をあとにしました。筆を進めるうちに気を大きくして厳密性を損なう表現があったかもしれません。科学的な解説手順にそぐわない経験を描写するため、筆が滑ったと多めに見ていただければ幸いです。現在・未来の学生諸氏におかれましても、基礎生物学研究所が描写困難なほどの体験と衝動を生み出す場となることを願っております。

 

(2017年 7月記)
 

福島健児さん 略歴

2010 : 東海大学 農学部 応用植物科学科 卒業
2015 : 総合研究大学院大学 生命科学研究科 基礎生物学専攻 博士(理学)
2015-2017 : コロラド大学 訪問研究員(日本学術振興会海外特別研究員)
2017-現在 : コロラド大学 研究員