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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

修了生の声

修了生の声 米原圭祐さん (EMBL/Aarhus University グループリーダー)

 

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 当時、東京大学の獣医学科の学部生だった私は、最先端の分生生物学を学びながら神経発生の研究を行いたいと思っていました。将来は研究者として生きて行きたいので、どうせやるなら凄い先生の下で勉強したいと思い、日本中の大学院4−5カ所を尋ねて歩いた結果、基礎生物学研究所の野田昌晴先生の研究室に博士後期課程の学生として参加することに決めました。野田先生は基生研に来られる前には京都大学の沼正作先生とともに数々の神経ペプチドやチャネル、受容体の配列構造を決定し、Natureに数えきれないほどの論文を出し、世界の分子生物学を牽引して来られた研究者でした。基生研でも網膜の領域化やNa+チャネルの生理機能の研究で多くの一流の業績をあげておられました。私もそのような先生に教えを請えば研究者として生き抜くための知恵と技術を授けてもらえるのではないかとの期待を胸に興奮しながら岡崎に来たことを覚えています。それと当時に、一流の研究を行っていた研究室の皆さんについていけるか心配だったことも覚えています。野田研では新谷先生や作田先生、その他多くの先生/ポスドクの方々に、昼夜の別もなく親身な指導をして頂きまして、最初は一つのプラスミドを作るのに半年もかかっていた始末でしたが、徐々に研究者として必要な基礎を身につけていきました。野田先生には、沼研時代の逸話など、多くの示唆に満ちた教訓を頂きました。御陰さまで、卒業する頃には入学した頃の甘かった自分とはまるで別人の、自立した研究者に成長することができたような充実感を感じました。具体的には、大学生の頃は(クイズ王の様に)知識があることと早く答えを出せることだけが頭の良さ=優秀さを決めると勘違いしていましたが、物の考え方の基本的な枠組み(マインドセット)、精神的な態度、コミュニケーション能力など、それまで自分に決定的に欠けていた能力群が研究者として上手くやるために重要であることに気付かされました。ハードワークももちろん重要です。大学とは違って、基生研のようにプロの研究者に囲まれて研究したからこそ、そのような成長の手応えを感じることができたのだと思います。総研大の同期の友人達とは、週末に車で鳥羽まで行ってバーベキューや花火をしたり、公園で缶蹴りをしたり、飲みに行ったりと、楽しく過ごしました。岡崎に最初来た時は、東京と比べて退屈そうで生きていけるか心配でしたが、研究生活に没頭するにはとても適した環境だと気づくのに時間はかかりませんでした。中古の軽自動車でよく気晴らしに蒲郡や豊橋までドライブに行っていました。イオンでの買い物はもちろん外せません。週末は喫茶店でモーニングを取りながら実験や論文の構成についてうんうんと考えるのが好きな時間の過ごし方でした。

 

 博士取得後、9ヶ月ほど野田研で研究員をした後に、新たに電気生理学と二光子イメージングを習いながら神経回路の発達と機能の研究を行いたいと思い、スイスのバーゼルにあるFriedrich Miescher Instituteの、視覚神経回路及び網膜機能回復の研究で世界の第一人者としての名を確立しつつあったBotond Roska博士の研究室にポスドクとして参加しました。Friedrich Miescher Instituteはバーゼルに本社を持つノバルティスに資金援助を受けている基礎医学研究所で、約24の研究室がエピジェネティクス、ガン、神経生物の3部門に分かれて研究を行っています。研究所は基生研よりも大分狭くて驚きましたが、毎月の様にCNSやその姉妹紙が出て、廊下を歩けばCNSホルダーに何度も肩がぶつかります。特筆すべきは大変充実したファシリティーで、FACS、マイクロアレイやRNAシークエンス、組織染色などもサンプルを渡せばPhDを持った専任科学者が無料で実験してデータを渡してくれます。ですので、ポスドクは自分にしかできないような重要な実験に集中することができます。各研究室は毎年約7千万円程度の研究費を研究所から支給されている上に、外部から多くのグラントを獲得しています。このような、企業が運営する優れた基礎研究所が日本にもっとあれば素晴らしいと思います。野田研で解析していたGFPノックインマウスを野田先生が快く持ち出しを許可して頂きましたので、このマウスを用いてバーゼルで解析を引き続き行いました。一年目はRoska博士のグラントで雇ってもらっていましたが、バーゼルに来てから色々と奨学金にアプライし始め、結果としてEMBO Long-Term Fellowshipと海外学振からそれぞれ2年ずつ援助をして頂きました。Roska博士はもともとプロのチェロ演奏者としてスタートしたハンガリー人なのですが、怪我のせいで研究者に転向したという異色の経歴を持ちます。怪我の後、数学科と医学部をモグリで同時に主席卒業し、バークレーで博士取得後、ハーバード大学の名誉あるHarvard Society Fellowに選出されて研究を行った後バーゼルで独立されました。世界の科学者の中でも有数の頭脳を持つのではないかと思うほど頭が良く、いまだに論文執筆能力ではまったく頭が上がりません。

 

 バーゼルに来てからも数年間は日本にいた時の様に午前9時から午前1-2時くらいまで土日もなく夢中で実験していました。ヨーロッパ人は基本的には午後6時くらいには大体家に帰ってしまい、土日は来ませんので、文字通り他人の2倍の時間働いていました。ただ、特にドイツ人は労働時間は短いのですがその分昼間はもの凄い効率で働くので、大きな成果を出している人が多くいて、これは日本では見かけなかった労働スタイルだと感じ、大変勉強になりました。(ちなみに私は今ではヨーロッパスタイルに切り替えて研究を行っています。)当初は英語でしゃべるのに苦労していましたが、半年もするといつの間にか苦労しない様になっていました。基生研が提供していた英語教育(無料のクラスやTOEIC受験)が語学力の素地をつくる上で大変役に立ったのだと思います。一般に、ヨーロッパ人研究者は英語を流暢に話しますが、英語を書く段になると文法ミスが多く、逆に平均的な日本人のほうが正しい文法で書けるぐらいです。ポスドクとして海外に来たばかりの頃の主要な仕事は実験や論文の読み書きだと思いますので、すぐに流暢な英語を話せる必要はなく、後々のジョブハンティングなど話し英語を磨く必要がある時期までに徐々に上達させるくらいで良いかと思います。バーゼルでは日本人研究者は勤勉で優秀だと認識されていました(余談ですが、Friedrich Miescher Instituteでは日本人学生だけ給料を上げるという案が教授会でほぼ決定されかけたのですが、1人いた日本人教授の強い拒否により否決されたそうです)。皆さんも海外でポスドクをしてみたいと思うなら博士号取得前後から思い切ってアプライしてみるといいと思います。今の時代、ネットサーフィンで必要な情報はいくらでも検索できるはずです。パソコンの前に座れば日本も海外も関係ありませんし、国境を超える心的障壁はかつてないほど小さくなって来ています。海外での安定した生活基盤を確保するためには、和食食材を確保するための努力は惜しまない方がよいです。

 

 野田研で受けた教育でのお陰もあり、バーゼルでのプロジェクトは上手く進み、開始から2年以内に夢だったNatureにアクセプトすることができました。その後も論文を出し、ポスドク5年目を迎える前くらいから、兼ねてからの目標であった海外で研究室を主宰するためにジョブハンティングを始めました。 NatureやScienceのオンライン広告や学会のホームページを見て応募先を探し、アメリカに40カ所、ヨーロッパに10カ所、応募を送りました。その全てに野田先生に推薦状を添えて頂いたことに大変感謝しております。アメリカから2カ所、ヨーロッパから5カ所、インタビューに呼ばれました。インタビューに呼ばれるためには業績は大事ですが、一旦呼ばれるとそこからはトークが大事だとRoska博士にアドバイスを受けましたので、自分のトークをビデオで撮って何度も練習したり、Roska博士を含めたラボの皆に何度も練習トークにつき合ってもらいました。その甲斐あってか、結果としてヨーロッパの4カ所(イギリス、ドイツx2、デンマーク)からオファーを頂きました。ヨーロッパからより好意的に評価された理由はまだはっきりとはしませんが、自分がヨーロッパをベースに活動していたことと当然無関係ではないと思います。ドイツでのインタビューでは、沼先生や野田先生のことをよく知っている研究者が予想以上に多くいることに驚き、往時両先生方の名前がドイツで鳴り響いていたことを再認識しました。

 

 独立後も高価な二光子顕微鏡を用いた実験をしたかったので、スタートアップの額を重視した結果、デンマークのDANDRITE - Danish Research Institute of Translational Neuroscienceのオファーを受諾しました。DANDRITEは2013年に新しく設立されたEMBLの北欧パートナーの研究所であり、デンマークで製薬会社を保有するLundbeck Foundationからも潤沢な資金援助を受けています。オーフス大学の中にありますが、教育の義務はありません。グループリーダーは公募により世界中から集められており、8人のグループリーダーが揃ったばかりです。更に、幸いにもラボの立ち上げに際してEuropean Research CouncilからERC Starting Grantを頂くことが出来ました。5年間で150万ユーロという大きな額です。ERC Starting Grantに応募できるのは博士取得後7年以内の研究者だけですし、例えばドイツ内のいくつかのスタートアップグラントは博士取得後4年以内しか応募できませんので、将来ヨーロッパで独立を目指すのでしたら博士号取得後に早めに海外へ出た方が有利だと思います。これを逃すと、よりシニアの研究者向けのグラントに応募しなくてはならず、競争は激化します。まるで馬の目の前に垂らす人参のように、5年毎くらいに次のステージのグラントが用意されているので、それを目指して研究者はしのぎを削って研究することになります。競争力を維持するための良く出来たシステムだと思います。

 

 2015年2月からDANDRITEにて研究室を立ち上げました。マウスの視覚神経回路をモデルとして用いて、神経細胞同士の相互作用が神経演算を生み出す仕組み、またそれら神経結合を形成する分子細胞機構などを明らかにしていきます。今(2015年3月現在)はテクニシャン(デンマーク人)と私の2人だけのラボですが、今年中に3人のポスドク(アメリカ人、ポルトガル人、ハンガリー人)が参加することが決まっています。熱意あるポスドクはいつでも募集しています。スイスと同様にGDP per capitaの高いデンマークではポスドクに大変高額の給料が支払われます。今はモレキュラー実験室にはピペットマンと椅子しかなく、毎日の様に器械や試薬、マウスを注文している最中です。生理実験室には二光子顕微鏡2台(1台はexo vivo網膜実験用、もう1台はin vivo実験用)、レーザー1台、それにMultielectrode arrayのシステムを近々設置する予定です。発音が難しいとされるデンマーク語を習うのは既に諦めていますので(笑)注文はテクニシャンに頼っていますが、今の時代はGoogle Translateがあるので非英語書類の読解にはそこまで困りません。研究所内は英語が公用語です。一年後にはどんな研究室になっているのだろうと考えると、心が躍ります。

 

 基生研を飛び出てから6年が経過したばかりでまだまだ駆け出しですが、基生研で始めた研究を一貫して行ってきて、野田先生やRoska博士といった研究と人格に優れた指導者にも恵まれ、次々と新しい発見に出会い、幸運にも自分なりのアプローチで問題に挑戦する機会を得ることができました。DANDRITEでの任期はEMBLのスタイルに準じた5-9年で更新はありませんので、この限られた期間に研究成果を出せる様に皆で頑張っていきたいと思います。人生の中のどの決断が正しかったのかは、後になってみないと分からない難しさがあります。基生研に行かなかったら、今の私のキャリアパスは間違いなく異なったものになっていました。私に出来ることは、後で“しなかったこと“を後悔しないために、適切なタイミングで新しいステージに挑戦していくことだと思っています。また、ここまで私が研究者として生き延びて来られたのも、家族が助けてくれたお陰であることを記したいと思います。皆様の今後の研究生活が成功と興奮に満ちたものになることをお祈りいたします。

 

(2015年 3月記)
 

米原圭祐さん 略歴

2003 : 東京大学農学部獣医学課程 学士
2008 : 総合研究大学院大学 生命科学研究科 博士(理学)
2008 : 基礎生物学研究所 研究員
2009-2014 : Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research 研究員
2015-現在 : DANDRITE - Danish Research Institute of Translational Institute/Nordic EMBL/Aarhus University グループリーダー/准教授
研究室ホームページ:http://www.yoneharalab.com/