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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

修了生の声

修了生の声 勝 義直さん (北海道大学大学院 理学研究院 准教授)

 

katsu.jpg みなさん、こんにちは。私は1992年の4月に総合研究大学院大学に入学してから2009年3月までの期間、基礎生物学研究所に在籍し、長濱先生・井口先生という二人のボスの薫陶を受けてきました。今回、広報室の倉田さんに依頼されメッセージの執筆を引き受けました。今回は私が基生研在籍中に所属した長濱研、井口研の様子や現在所属する大学の話などを紹介して下さい、ということなので昔話にお付き合い下さい。

 

「長濱研時代」

 総合研究大学院大学の学生として長濱嘉孝先生の研究室の所属となったのは20年も前の事です。山口大学での修士課程の時に繊毛虫の細胞分裂の研究をしていた私は可能ならば博士課程に進学し細胞周期に関連する研究がやりたいと思っていました。当時は、MPF(卵成熟促進因子)が精製されcdc2とサイクリンBからなる蛋白質リン酸化酵素である事が判明し、Nature、Science、Cellに毎号のように関連論文が発表されていた時期です。そのころ、基礎生物学研究所の長濱先生の記事を読み長濱研究室では魚の卵成熟について研究を進めている事を知りました。ほぼ同時に、総合研究大学院大学の大学院生募集のポスターをみて、ぜひ進学したいと思うようになりました。当時の指導教官(藤島先生、現山口大学教授)に紹介状を書いて頂き長濱研の見学にも行きました。その当時、山口大学では博士課程は設置されていなくて、博士課程進学には他大学へ行く必要があったことも総研大を選んだ大きな理由です。

 

 入学試験(面接のみでした)を受け、何故か試験当日の夜に長濱先生にお寿司を御馳走になりました(初めて廻っていないお寿司を食べたので良く覚えています。もっとも緊張して何を食べたのかは覚えていませんが・・・)。その後無事に合格して博士課程1年として長濱研の一員となった時は、スタッフとして吉国先生(現九州大学)、山下先生(現北海道大学)、田中先生(基生研 生殖遺伝学研究室)が活発に研究を進めておられ、ポスドクとして小林さん(現静岡県立大学)、酒井さん(現遺伝研)、柴田さん(現信州大学)、三浦さん(現愛媛大学)、そして総研大の先輩として山口さん(現九州大学)、徳元さん(現静岡大学)らが所属するという今考えると蒼々たるメンバーの末席に加えていただいたのでした。そして山下先生のグループ(卵成熟のグループ)に加わり博士課程での研究がスタートしました。もちろん何の技術も持っていなかった私は技術補助員さんからは「若造」といわれ、諸先輩方からは苛められつつも可愛がってもらい、少しずつではありますがいろいろな技術を覚え知識を貯えていく事ができました。そして1年が過ぎようとしたある日、何と山下先生が北海道大学に赴任される事が決まったのでした。この先どうなるのかと思いつつも長濱研に残り(あとで話を聞くと北大に連れて行く、という案も有ったという事です)、同じく卵成熟のグループだった山口さんや徳元さんに助けられ道を踏み外す事もなく学位の研究を進めました。また山下先生も北海道大学へ行かれた1年目は毎月岡崎まで来て下さりサポートしていただきました(私自身、札幌に来て月に一度岡崎に行く事がどれほど大変なものであるのか分かりました)。山下先生や先輩方の援助を受けて研究を進めて行くのですが、学位を取るまでの期間はその後の研究者としての歩みにとてもプラスになったと思っています。というのは、大筋の方向性は長濱先生、山下先生と話し合って決めていたのですが、すぐ近くに実験の詳細を理解し議論する先生がいないので、兎に角一人で考え手を動かしてデータを出し次のステップに移るという作業の連続になります。そのような訓練を経て、独立して人に頼らず自身で考え行動するという能力が多少なりとも培われたと思っています。ですから、イギリスへ留学したとき、井口先生のラボに助手として採用された時にも、なんとかやることができたのだと思います。多分、ずっと山下先生が長濱研にいて面倒を見てもらっていたとしたら今の自分は居なかったと感じます。また、長濱先生には勝手気ままに研究をさせていただきとても感謝しています。無事に学位を取る事ができ、副査をしていただきました野田先生、江口先生、鈴木先生には大変お世話になりました。学位の授与式はその頃ちょうど完成した葉山の総研大の建物で行われました。その時の訪問がこれまでで唯一の総研大本部への訪問になっています。

 

 学位取得後、基生研の非常勤研究員、日本学術振興会の特別研究員等の身分で5年近くポスドクの時期を過ごしました。イギリスのケンブリッジ大学生物化学部のStandart先生のラボで仕事をしたのもこの時期です。ポスドクになってもうすぐ6年目に突入してしまう、と少々の焦りを感じていた頃、新しく環境に関連するセンターが作られそこに横浜市立大から井口先生が着任される事が決まっているから助手にどうだろうかというお話を長濱先生から戴きました。私に務まるのかとても不安ではありましたが、またとないチャンスだったので恐れ多くも引き受けたのが井口研での9年間の研究生活の始まりでした。

 

「井口研時代」

 長濱先生も出張が多い先生でしたが、それ以上に井口先生は出張続きの先生でした(今も同じだと思いますが・・・)。一ヶ月に3日しかラボに来られなかった月もありましたが、便利なe-mailという物があり(メールを通して雑用を頼まれる時も多々ありましたが)研究の進行など常にディスカッションしていたように思います。井口先生はいわゆる「環境ホルモン」の研究でとても有名な先生ですが、不覚にも当時の私はどんな先生であるのか全く知りませんでした(先生ゴメンナサイ!)。こんな私でしたが井口研の一員にしていただき、マウスを使った研究に着手したのでした。井口先生自らマウス卵巣摘出の手術をやって見せていただいたことは今でもはっきりと覚えています。先生からの手ほどきを受けて程なく卵巣摘出操作も行えるようになり実験も進んでいました。マウスの生殖器官のホルモン応答性等に関する論文が出始めた頃、井口先生からワニのエストロゲン受容体遺伝子を単離してみよう!という提案を頂きました。この提案がその後の、そして現在の主要な研究テーマの一つである「ステロイドホルモン受容体の分子進化解明」に繋がるのでした。(多分)先生ご自身は、環境ホルモンのターゲット受容体であるエストロゲン受容体を使って、様々な農薬や環境中の化学物質に対する影響を調べることを前提とした提案だったのだと思いますが、それから大きく脇に外れてしまいさらにいろいろな生物から受容体を単離するという方向に逸脱してしまったのでした。しかし、このように暴走してしまっても常にサンプルの収集等配慮してくださり気持ち良く自由に実験をさせて頂けた事を感謝するとともに、井口先生の度量の大きさに触れることができました。

 

 井口研に所属して2年ほど過ぎた頃愛知教育大学のグラウンドがあった山手地区に新しい建物が出来上がりラボの引っ越しがありました。長濱研以来ずっと地下の研究室でしたがやっと日の光が見える階へと移ったのでした(ちなみに北大のラボは10階にあります。窓からは札幌競馬場が見えます。馬が走っている姿は見えませんが。)。山手の動物センターのスタッフの皆さんにも大変お世話になりました。また、井口研に所属していた時は外国からのお客さん(研究者)が多く、数日の滞在から半年〜1年程度もいっしょに研究をするなどの環境を与えられました。イギリスやアメリカなど海外へ行く機会も与えて下さりとても刺激を受けました。井口研での研究期間も8年目に入り受容体に関連する論文も出るようになってきた時に、北海道大学への移動の話が持ち上がりました。折角順調に仕事が進んでいるのに、この素晴らしい環境を捨てる必要があるのかと最初は迷いました。ですが、このような機会は今後与えられる事は無いかもしれない、そして長濱研、井口研で学んだ事を開花させたいという気持ちから移動を決めました。快く送り出して頂きました井口先生にとても感謝しています。

 

「北大への移動から現在」

 北海道へは2−3回学会等で来たことはありましたが、まさか自分が居住するとは夢にも思っていませんでした。赴任した年のゴールデンウィーク直前に雪が降った時には「なんて所に来てしまったのだろう」と思いました。岡崎なら桜は既に散り岡崎公園の藤の花が綺麗な時なのに、まだ札幌の桜は咲いていないのです。札幌に来て3年半が経ちこの土地にようやく慣れてきたと思っています。季節の移り変わりをとても強く感じ取る事ができる土地です。冬は雪に閉ざされてしまいますが、融けると一斉に緑に囲まれ秋の紅葉の艶やかさには心奪われ瞬く間に冬に突入します。

 

 こちらに赴任して一番苦労した事は講義の準備でした。基生研の助教から他大学へ移動される先生方に共通する事だと思います。講義の分担(負担?)があり、それを1から作り上げる作業は(今も、ですが)大変です。コンピュータと睨めっこする慣れないデスクワークで肩こりが酷かったです。教員の数が多く、担当する講義も他の大学と比べて少ないのかもしれませんが、まだまだ慣れません。研究室の話題に移ります。私が所属するのは理学研究院生物科学部門の「生殖発生生物学研究室」になります。山下先生(長濱研で助手をされていました)は小谷先生と共に、卵成熟時の母性mRNAの翻訳制御の解析や精子形成の解析など生化学的、分子生物学的、組織学的手法、またトランスジェニック魚の作出等を駆使して研究をされています。高橋先生は荻原先生とともにメダカの排卵制御機構に関する研究を進め、排卵酵素の発見等目覚ましい成果を出されています。清水先生はイトミミズの発生に着手し、「生殖発生生物学研究室」の中では真っ当な発生学を押し進めています。木村先生は高橋研の出身で、精巣特異的な遺伝子発現制御についてノンコーディングRNAやエピジェネティックに着目した研究を進めています。そのような先生方の一員に加えて頂き、5つ目のラボとして比較内分泌をベースにした研究を進めています。2012年8月現在では4名の学生が研究に参加してくれています。基礎生物学研究所は博士号を目指す大学院生、博士研究員が研究推進の原動力ですが、大学では4年で卒業する学生、修士課程修了後に就職する学生が大半で、実験データの精度・生産性は残念ですがかなり劣る事は否めません。「学生たちを如何にやる気にさせ、研究を進めるか」に頭を使い、またラボに所属してくれた学生たちそれぞれの進路にも気を配る必要があり、研究中心の基生研での生活とはまた違う能力が試されます。最近になり、こちらに来て始めた仕事のデータが揃い論文としてまとめる事が出来そうです。他の優秀な研究者の方々よりも時間はかかっていますが、これを皮切りに時間がかかっても良いですから着実に成果を挙げ続けることが出来ればと願っています。

 

 以上、総研大に入学し長濱研で研究に携わり井口研を経て今に至っていますが、指導教員、その他面倒を見て下さった多くの人の御蔭でここまでやってくる事が出来たと思っています。才能も無く頭も良いという訳ではない私ですが、「人」に恵まれた事は自慢できるのかもしれません。必死に仕事をやっていた大学院生の時と同じ気持ちでこれからも研究を行い、また学生の指導に力を注ぎたいです。大学院生の皆さん、「諦めなければ結果は伴う」という言葉がありますがそれだけでは足りないと思います。諦めず「必死に努力」することが重要です。そうすれば結果は伴ってきますし、多くの人が救いの手を差し伸ばしてくれます。ですから、人と人との繋がりを大切にして下さい。最後に、基礎生物学研究所では多くの人に囲まれ楽しく刺激的な日々を過ごす事が出来ました。一人一人のお名前は書きませんが関わって頂きました全ての人々に感謝の意を表したいと思います。

 

(2012年 8月記)
 

勝義直さん 略歴

1992年 : 山口大学大学院 理学研究科 修士
1995年 : 総合研究大学院大学 生命科学研究科 博士(理学)
1995-1996年 : 基礎生物学研究所 博士研究員
1995-1999年 : 日本学術振興会 特別研究員
1999-2000年 : 基礎生物学研究所 博士研究員
2000-2009年 : 岡崎統合バイオサイエンスセンター(基礎生物学研究所)助手
2009年-現在 : 北海道大学大学院 理学研究院 准教授
 研究室ホームページ: http://www.repdev-katsu.jp/index.html