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2023.10.03

志村令郎先生の功績を讃える  〜日本のシロイヌナズナ植物学は基礎生物学研究所の2階で始まった!!〜

 基礎生物学研究所の細胞情報(客員)研究部門および遺伝子発現統御第一研究部門の教授(1986年5月1日〜1994年3月31日)で、後の自然科学研究機構の初代機構長であられた志村令郎先生が2023年9月27日に亡くなられました。研究所として、また機構の一員としてご冥福をお祈りしたいと思います。

 筆者が京大在学中に一番刺激的な授業は、志村さんが担当した生物物理学演習でした。実験結果が提示され、それを学生が考察するという演習で、結果から演繹される内容をその根拠とともにプレゼンし、志村さんの突っ込みに耐え忍んでディフェンスするという強烈なものでした。志村さんの論客としてのかっこ良さが憧れでした(当時、平凡パンチの『全国もてもて助教授』の記事で京大からは志村さんが選ばれていました)。
 筆者は大学院で岡田節人研に入りましたが、再生研究を分子生物学的アプローチするために志村研に出入りし、志村さんのお手製のプロトコールをもとにEcoRIとBamHIの精製を教えてもらいました。また、ニワトリ胚のいろいろな組織からRNAを精製するのに、RNAを扱う手ほどきをガラス器具の洗い方から志村さんに直々に教えてもらいました。そういった経緯もあり、新しい実験結果が出た時には必ず志村さんのとこに行って、結果の考察と次の実験の計画について議論させてもらうことが習慣となっていました。

 1983年に筆者は京大の博士課程の途中に基礎生物学研究所の江口吾朗研の助手に採用されましたが、その2年後に志村さんが客員部門の教授に指名され、江口研(形態形成研究部門)の真上の2階に志村研が設置されました。そして、志村さんが何を客員部門でやるかと思ったら、何とシロイヌナズナを用いた遺伝学的アプローチを始めたのです。当時の3代目の所長の岡田節人さんの勧めがあったとはいえ、唐突感は拭えず『何で志村さんがシロイヌナズナなの?』と聞いたら、志村さんは『私が京大の植物学教室の出身であることをお前さんは忘れたのか?』と言われました。
 そう、日本の植物学を変えるきっかけとなったシロイヌナズナを用いた分子遺伝学は、1986年の基礎生物学研究所の2階で始まったのです!! 最初は京大の後輩だった白石くんらがシロイヌナズナの飼育・交配をしていましたが、そこに、これまた驚きなことに、志村さんはアメリカのハーバード大のストロミンジャー研で組織適合性抗原の研究で実績をあげていた岡田清孝さんを助手として引き抜いてきたのでした。清孝さんは帰国前にアメリカでのシロイヌナズナの動向を調査して、基礎生物学研究所に来てからは精力的にシロイヌナズナのホメオティック変異体と根の伸長パターンの変異体のスクリーニングを開始します。その後の清孝さんらの活躍は言うまでもなく、また、シロイヌナズナを使った遺伝学的アプローチによって日本の植物学も質的な大転換を迎えたわけです。それらのステータスでもって岡田清孝さんは基礎生物学研究所の7代目の所長になられました。
 
 志村さんご自身はtRNAが前駆体として転写され、それがどのようにプロセスされて成熟tRNAになるのかのメカニズムを明らかにしたことを看板研究としていました。さらにはmRNAの前駆体がどのようにして成熟mRNAになるのかについての研究へと発展されました。そして、RNA学会の初代の会長として、フロントのRNA研究を推進しました。
 
 志村さんの努力が実を結んで日本のRNA研究は世界のフロントを走り続けることに成功しています。私の中には『日本のRNA研究と植物研究が世界のフロントになりえたのは志村さんの功績が大きい』として刻み込んでいます。その功績をしっかりと讃えたいと思います。合掌。

第9代・基礎生物学研究所・所長 阿形清和
 
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岡田節人先生(左)と志村令郎先生(右)
 

 

初代自然科学研究機構長 志村令郎先生がご逝去されました(機構長弔文)
追悼 志村令郎先生(第7代 基礎生物学研究所長,岡田清孝先生弔文)