English

大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

  • Home
  • ニュース
  • > 基礎生物学研究所 阿形清和所長が文化功労者に選ばれました

ニュース

お知らせ

2023.10.21

基礎生物学研究所 阿形清和所長が文化功労者に選ばれました

基礎生物学研究所 阿形清和所長が令和5年度文化功労者に選ばれました。

文化功労者は、文化の向上発達に関し、特に功績顕著な者を顕彰するものです。プラナリアの再生など生物の再生原理の解明にかかる独創的な業績を上げたことが高く評価されました。

Kiyokazu_Agata.jpg
 2019年の4月に基礎生物学研究所の所長として岡崎に赴任し、所長として初めて文部科学省を訪れた時、『あなたの研究所はノーベル賞学者も出しているのに、名前が売れていないのは広報活動とかに問題があるからじゃないですか!?』との指摘を受けました。『えっ、私が所長でもなかった時のことでいきなりお咎めを受けるのか、、』て感じでした(大隅さんのノーベル賞は私が赴任する前の2016年の話、、)。それよりか、それ以前に”大学共同利用機関法人・自然科学研究機構・基礎生物学研究所”というネーミングが悪い!、と私は思っていたので、その点を言いたかったのですが、文部科学省に初見参でいきなりそんな溜口は言えませんでした。1983年から1991年にかけて私が助手として基礎生物学研究所に居た時は、”岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所”でした。そこには、<岡崎>も<国立>もネーミングに入っていました。しかし、2004年に国立大学法人法の施行により法人化されると、先の述べた長い呼称となり、<岡崎>も<国立>も消え、一般の方には全く意味不明なネーミングとなりました。大隅さんも<東工大の名誉教授>としてマスコミにでることがあっても、<”大学共同利用機関法人・自然科学研究機構・基礎生物学研究所”の名誉教授>としてマスコミに出ることはありませんでした。私が日光にできた日本両棲類研究所の開所式に呼ばれてテープカットした時も、京大の名誉教授という肩書は一切言わず、”大学共同利用機関法人・自然科学研究機構・基礎生物学研究所”の所長と連呼したのに、翌日の新聞には<阿形清和・京大名誉教授>という肩書だけが書かれていました。これが現実です。公式名称は正式名称なのですが、長くて一般の方々に全く意味がわからないものは、いくらノーベル賞を出しても世間で認知を受けるのは至難の業なのです。
 
 今回、私が文化功労者として表彰されたことをHPで報告するに当たり、私としては私個人よりも基礎生物学研究所をアピールする機会にしたいと考えています。そして、それをもって少しでも文部科学省に指摘された点に対する答えにしたいからです。基礎生物学研究所は、公式名称は正式名称とするものの、冠から<岡崎>も<国立>も消えた時点で、国立天文台や国立遺伝学研究所や国立民族学博物館と同様に通称として<国立基礎生物学研究所>と名乗らせてもらいたい(それらの研究所はわれわれと同じ大学共同利用機関の研究所なのですが、機構ができる前から使っていた名称を正式名称として使っている)。そして、その<国立基礎生物学研究所>関係者からは、私が9人目の文化功労者であることをアピールしたいのです。歴代の所長からは2代目所長の金谷晴夫氏、3代目の岡田節人氏(後に文化勲章を受章)、部門の教員からは大隅良典氏(翌年にノーベル賞受賞と文化勲章を受章)と近藤孝男氏、客員部門の教授からは岡田善雄氏、堀田凱樹氏、竹市雅俊氏、さらには睡眠研究で有名な柳沢正史氏も1年間当研究所で分子生物学を習ったことをベースとしてブレークして文化功労者となっているのです。規模の小さい国立の研究所なのですが、誇れる実績を残していることをアピールしておきたいと思います。
 
 私自身の受章については、東京の高校生だった1972年に岡田節人氏が執筆したブルーバックス<細胞の社会>を読んで再生研究に憧れ、再生研究者になることを心に決め上洛し、それから50年、場所はいろいろと変わるものの一貫して再生研究を積み重ね、再生研究の世界の第一人者として先月に国際再生生物学賞をウィーンでもらい、そして来月に日本においても文化功労者として表彰されることは大変な誇りであります。日本と世界でメダルを掲げられるのは、サッカーのW杯に出ることを夢見ていた青年には、とてつもなく嬉しいご褒美なのです。この場を借りて、一緒に再生研究をしてきた仲間達にも感謝の気持ちを持って報告したいと思います。

<国立> 基礎生物学研究所 所長 阿形 清和