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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構

基礎生物学研究所

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研究報告

2013.05.21

受容体のリガンド特異性から解き明かす幼若ホルモン経路の進化

 幼若ホルモンは昆虫類や甲殻類などの節足動物において、脱皮・変態・生殖をはじめとする様々な生命現象を制御する主要な内分泌因子です。昆虫類では主に幼若ホルモンIII(Juvenile hormone III: JH III)を、甲殻類ではファルネセン酸メチル(Methyl farnesoate: MF)をそれぞれ幼若ホルモンとして体内で用いていることが知られていますが、これらの分類群間で異なる分子を用いる様になったその進化学的な背景は不明でした。今回、岡崎統合バイオサイエンスセンター・基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門の宮川一志研究員、井口泰泉教授の研究グループは、国立環境研究所、北海道大学、バーミンガム大学との共同研究により、ミジンコ類を用いて甲殻類において初めて幼若ホルモンの受容体の単離に成功しました。さらに、単離したミジンコ類の受容体配列中のアミノ酸を1箇所だけ昆虫類の受容体でよく見られるものに置換することで、昆虫類の幼若ホルモンであるJH IIIに対する応答性が著しく増加することを発見しました。昆虫類と甲殻類の共通祖先で生じたこのアミノ酸の変異が、節足動物類の幼若ホルモン経路の進化に深く寄与した可能性があります。この研究成果はNature Communicationsに掲載されました。

 

「研究の背景」

 我々人間も含め生物の示す様々な生命現象の多くは内分泌(ホルモン)系によって制御されています。昆虫類や甲殻類などからなる節足動物類においては、「幼若ホルモン」と呼ばれるホルモンが様々な種において共通して脱皮・変態・生殖などの重要な発生現象の制御に関与しており、幼若ホルモンは節足動物の最も重要なホルモンの1つです。さらに幼若ホルモンは、社会性昆虫のカースト分化やミジンコ類の環境依存型性決定など分類群特異的に進化したと予想される現象の制御への関与も明らかにされており、幼若ホルモン経路が節足動物類の進化とともにどのように変化してきたかを解明することは、節足動物類の多様性の獲得とその背景に存在する普遍的なシステムを理解する上で重要です。

 

 今日の節足動物類が進化してきた過程で幼若ホルモン経路に生じた変化の中で、最も大きなものの1つがホルモン分子(リガンド)の転換です。昆虫類では主に幼若ホルモンIII(Juvenile hormone III: JH III)と呼ばれる分子を体内で合成し、幼若ホルモンとして使用しています(図1)。一方、エビ・カニ・ミジンコなどの甲殻類ではJH IIIの前駆体であるファルネセン酸メチル(Methyl farnesoate: MF)を幼若ホルモンとして使用しており(図1)、JH IIIの示す生理活性はMFと比較して非常に低くなっています。研究グループではこれまでに、幼若ホルモンの曝露によって通常メスしか産まないミジンコの仔虫の性がオスになるという現象を発見していますが、その際MFはJH IIIよりも低い濃度でオスを誘導することができます(図2)。このようなリガンドの生理活性の変化には受容体との相互作用の変化が深く関わっていると予想されますが、一部の昆虫類を除いて幼若ホルモンの受容機構は不明であり、特に甲殻類では受容体分子すら同定されていませんでした。

 

「研究の成果」

 一部の昆虫類ではMethoprene-tolerant(Met)と呼ばれる分子がJH IIIと結合するとSteroid receptor coactivator(SRC)という分子とヘテロ二量体を形成して下流へシグナルを伝えることが明らかになっています。そこで研究グループはまず、ミジンコおよびオオミジンコの二種の甲殻類よりMetとSRCのホモログを単離し、これらの分子が甲殻類においても幼若ホルモンの受容体として機能しているかを明らかにすることを試みました。その結果、ミジンコ類のMetは昆虫類同様に幼若ホルモン依存的にSRCとヘテロ二量体を形成しました(図3)。さらに興味深いことに、複数の幼若ホルモン類似物質を用いてヘテロ二量体化を引き起こす濃度をそれぞれ比較したところ、甲殻類の幼若ホルモンであるMFは、昆虫類の幼若ホルモンであるJH IIIと比較して約10分の1の濃度でヘテロ二量体化を誘導しました(図3)。これは甲殻類におけるMFとJH IIIの生理活性の違いが受容体のリガンド特異性に起因しているという仮説を強く支持すると同時に、幼若ホルモン曝露によるミジンコのオス産生がこれらの受容体を介したシグナルでおこなわれていることを示唆します。

 

 また本研究の結果より、ミジンコ類のMetとSRCのJH IIIに対する応答性は、過去の昆虫類の知見と比較すると約10分の1程度であることが明らかとなりました。そこで次に研究グループは、ミジンコ類の受容体と昆虫類の受容体の配列を比較することでこれらの間でリガンド特異性の差をつくり出しているアミノ酸の変異を探索しました。Metの幼若ホルモン結合ポケット配列に生じているアミノ酸の変異に着目し、ミジンコ類のMetにおいてそのうち1つを昆虫類で見られるアミノ酸に置換したところ、JH IIIに対する応答性が約10倍に上昇しました(図3)。昆虫類と甲殻類の共通祖先で生じたと予想されるこのアミノ酸の変異は、幼若ホルモンリガンドの転換と密接に関わっていることが予想されます。

 

「今後の展開」

 生物の見せる多様な驚くべき表現型の数々は、既存の発生プロセスをそれぞれの分類群において独自に流用・改変することで獲得されてきたということが近年明らかとなってきました。しかし、発生プロセスに生じたどのような変異が進化の鍵となりうるのか、また生じた些細な変異からどのようにして劇的な種間の違いの創出へと至るのかといった点は依然として進化発生学の大きな問いとなっています。

 

 本研究は生物の示す最も顕著な環境応答の1つである、ミジンコ類の環境依存型性決定の機構を解明する上で非常に重要な知見です。さらに加えて今回、節足動物類の多様性創出に深く関わっていると予想される内分泌系である幼若ホルモン経路において、おそらく甲殻類と昆虫類の祖先において受容体に生じたたった1つのアミノ酸の変異によって、リガンドの特異性というシグナル経路の根幹に関わる性質が大きく変化してきたことが明らかになりました。このような変異によって生じた新たな分子との相互作用は、発生プロセス間の新たなネットワーク形成に寄与し得るため、生物進化の原動力となることがあります。本研究で得られた成果は、節足動物類のみならず生物全般に共通する進化プロセスの理解につながると期待されます。

 

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図1:甲殻類と昆虫類の幼若ホルモン

 

 

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図2:MFおよびJH III曝露によるミジンコのオス産生

 

 

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図3:MFおよびJH IIIに対する受容体の応答性

 

 

「論文情報」

Nature Communications(ネイチャーコミュニケーションズ)

2013年5月14日号掲載

論文タイトル: “A mutation in the receptor Methoprene-tolerant alters juvenile hormone response in insects and crustaceans”

著者: Hitoshi Miyakawa, Kenji Toyota, Ikumi Hirakawa, Yukiko Ogino, Shinichi Miyagawa, Shigeto Oda, Norihisa Tatarazako, Toru Miura, John K. Colbourne, Taisen Iguchi