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2016.10.07

大隅良典名誉教授のノーベル賞受賞決定を受けて、元基礎生物学研究所長・元岡崎国立共同研究機構長 毛利秀雄名誉教授の寄稿を掲載いたします

隣のおじさん-大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して)

 

 私が東京大学教養学部の助教授になりたての頃、同じフロアーで生化学の権威であった今堀和友先生の研究室に入ったばかりの卒研生が、バランスのとり方が悪くて生物学教室の冷却遠心機のローターを飛ばしました。それが大器晩成の人、ノーベル賞受賞者・大隅良典君との最初の出会いです。彼は教養学部の理科系のシニア学科として、数学から地学まで幅広いバックグラウンドをもった人物を育てることを目的とした基礎科学科の第二期生で、同学科の神代時代の秀才の一人です。奥さんの萬里子さんも同じ研究室だったので、当時見かけたことがありました。

 

 大学院時代、ポスドク時代は離れていたのでよく知りません。ロックフェラー大学で抗体の構造でノーベル賞をとったエーデルマンのところに行ったようです。理学博士にはなっていますが、突出した仕事はやっていなかったように思います。やがて理学部の植物学教室で、大腸菌の膜輸送の研究で有名な安楽泰広先生に拾われて助手、講師となり、酵母に手を出すようになります。彼はその頃から論文を書かないので有名でした。自分で十分結果に納得いかない場合は書かなかったのでしょう。今の任期制の世の中ではなかなかできないことです。

 

 十年ほどして教養学部の生物学教室で助教授のポストが空き、彼が迎えられます。基礎科学科出身ということもあったかもしれません。初めてもった自分の研究室には顕微鏡と培養器だけといった有様です。でもここで後の研究につながる、酵母の液胞でのオートファジーを光学顕微鏡で見るという快挙が1988年になされるのです。43 歳の時でした。論文が出るのにはさらに4年ばかりかかかりました。丁度そのころ私は学部長でなんだかんだと忙殺されており、彼の仕事については何かやってるな程度の認識でした。生物学教室の教官連中は私も含め呑んべーばかりで、彼が酵母のことで関係していた当時の大蔵省の醸造試験場に皆で見学(飲み)に行ったこともありました。私が東大を去った後、彼にふさわしい教授ポストが空いていたかどうか定かではありません。しかしともかく論文が無いことが問題のようで、心配して訊いたこともありましたが、「大丈夫です」と落ち着いていました。彼の頭の中では教授昇進のことよりも、完全な論文を仕上げることの方が大きかったのでしょう。

 

 また時が移り、私は1995 年に基礎生物学研究所の所長として岡崎に赴任します。当時多くの教授ポストが空席のままで、私はそれらを埋めることに努力を注ぎました。そのうちの一人が大隅君です。すでに51歳になっていました。上述のように彼とは以前からいささか関係があったものの、この人事に私は一切関わっていません。実は彼の仕事は論文になる前から海外で評判になっており、人事選考委員の先生方の先見の明によって彼の採用が決まったのです。赴任した彼に要望したことはただ一つ、助教授には動物系の人を採って貰いたいということでした。こうして関西医大から吉森保君がやってきます。また東大の教養学部からついてきた野田健司君、それに東京医科歯科大からきた水島昇君が加わって、大隅研の態勢ができあがりました。実は動物学出身の私の乱暴な分類によれば、細胞壁をもっている生物は全部植物で、当時植物系の教授、助教授の数が多くなっていたのでバランスをとるために云ったのですが、図らずも酵母以外の分野にも仕事が広がるきっかけとなりました。本当は、大隅君が免疫をやるために行ったエーデルマンのところが動物の受精の研究にシフトしていたため、動物細胞にもアフィニティーを持っていた彼が、将来のことも含め自らも望んでした人事でした。

 

 大隅君と接したことのある人達はお分かりのように、彼はおおらかでおだやかな性格であり、研究室には世界最先端のことをやっているといったピリピリした雰囲気はまったくありませんでした。酒は大好きなので、飲みすぎてひっくり返りけがをしたこともありました。現在の東工大の研究室もほのぼのとしているようで、世間的に偉くなってもまったく変わっていないようです。所長の私から見ても、研究には緻密ですが、そのほかのことには大まかなところもありました。昆虫少年であった彼に九州での蝶のようすを訊いたこともあります。要するにふつうの隣(の研究室)のおじさんでした(ただし世間の人から見れば研究者はみな変わり者です)。でももちろんそれでノーベル賞にたどりつけるわけではありません。自分の見つけた面白そうなことに集中して、セレンディピティにも恵まれ、こつこつと追及してきた結果が受賞につながったことは言うまでもありません。

 

 1997年には彼の主催で、基生研で世界ではじめてのオートファジーに関する国際シンポジウムが開かれています。過去の基生研での国際シンポジウムは海外の最新知識を吸収するのに大いに貢献してきたのですが、この年はむしろ海外の研究者たちに大きなインパクトを与えることになりました。

 

 私が岡崎を去ってからも、彼および大隅研の仕事はますます発展し、藤原賞を受賞したころには私はノーベル賞の受賞を予感しました。それで大きな賞を取るたびにまだこれで終わりではないと言い続けてきました。これまでのわが国の生理学・医学賞受賞者は利根川進氏が化学、山中伸弥氏が医学、大村智氏が薬学の出身であり、基礎研究という点からも生物学という点からも、彼の受賞が待望されました。昨年は大きな賞の受賞が相次ぎ、日程の点で天皇・皇后両陛下が臨席される国際生物学賞の授賞式とノーベル賞関係の行事の重なりが懸念される有様でした。今回の単独受賞ほんとうにすばらしい!

 

 大隅君はインタビューで、基礎研究の重要性を訴え、現状を憂い、そして一億に近い賞金をあげて若手を育てるために役立てたいとコメントしています。それに対してマスコミや首相は応用面のことにしか触れず、文科相は競争的資金の増額というような見当はずれの弁、科学技術担当相に至っては社会に役立つかどうかわからないものにまで金を出す余裕はないという始末です。なげかわしい。これでは科学・技術立国など成り立つはずがありません。それにもめげず、より多くの若い人たちが大隅君の受賞に刺激されて、すぐに役立つわけではない基礎研究に、そしてどちらかというとこれまで恵まれてこなかった生物学(生命科学)の研究に進んでくれるようになることを大いに期待したいと思います。いましばらくは機会がないでしょうが、彼をまじえながら昔の仲間たちとゆっくり杯を交わすことができるようになれば幸いです。

 

(元基礎生物学研究所長・元岡崎国立共同研究機構長 毛利秀雄)

 

 

tonari.jpg隣のおじさん:大隅良典名誉教授と毛利秀雄名誉教授(広報室掲載)