基礎生物学研究所
動物は環境からの外部情報を、自らの内部情報と照合し、適切な行動を発現させることで環境との適応を図っています。すなわち、動物の行動を理解するためには、こうした感覚から行動に至るまでの一連の情報処理過程を知る必要があります。こうした情報処理については心理学、神経科学、行動学など幅広い分野にまたがって研究が行われていますが、そのアルゴリズムの核心部分は未解明のままです。
当研究室では、動物行動学あるいは知覚心理学に計算機科学の手法を取り入れ、視覚に関する情報処理アルゴリズムの研究を進めている。コンピュータによって擬似的な視覚世界を動物の環境に構築することによって新たな動物心理学の展開を試み、さらには動物が行っている情報処理を人工知能上に仮想的に再構成することで、知覚の情報処理の統合的な理解を目指しています。情報処理ツールの要であるコンピュータを大胆に取り入れることで、動物の知覚世界の理解が進むことを期待しています。
メダカの視覚
メダカは、視覚を高度に発達させた脊椎動物である。生殖行動、逃避行動、摂取行動、集団行動、定位行動、縄張り行動、学習行動など様々な局面で、視覚情報を利用している。当研究室では、水槽周囲にバーチャルリアリティ環境を構築することにより、メダカの視覚特性を明らかにしてきている。
1)メダカのオープンフィールドテストの開発を通じて、視覚情報による空間学習能力の存在を明らかにした。
2)メダカはミジンコなどの動物プランクトンを餌として捕獲するが(上図A)、その際、ランダムに動き回るミジンコの運動パターンをハンティングに利用していることを明らかにした(文献4)。その運動パターンの特徴は、速度成分の周波数分布がピンクノイズで特徴付けられるものであった。
3)メダカの運動パターンを鋳型にした六点で構成したバイオロジカルモーション刺激にメダカが惹きつけられることを明らかにした(上図B)。メダカもヒトと同様高度に抽象化した視覚情報を認知できることが示唆された。
4)メダカの3DCGアニメーションモデル(上図C)と相互作用できるようにシステムを使い(文献3)、メダカの色・形・動きの何れもが同種間認識の引き金になることを明らかにした。現在、システムを発展させたリアルタイムインターラクション実験を予定している。
ヒトも、視覚系を高度に発達させた動物である。当研究室では、メダカに加えてヒトの視覚系の心理物理学的な研究を進めている。ヒトについては、錯視を活用した心理物理学的なアプローチ、及び、数理モデル化を試みている。
図1. AIで再現された錯視の回転
背景にある「蛇の回転錯視(詳細は北岡明佳博士のホームページ参照)」に、AIが予測した運動ベクトル(黄点が始点で、赤線が方向と大きさを示している)を重ねて表示している。AIはヒトの知覚と同じ方向の回転運動を再現した。
1)ケバブ錯視と呼ぶ新規の錯視を発表した。これはフラッシュラグ効果(上図D図及び文献6)と呼ばれる錯視の近縁種であり、運動している物体の位置がいかに正確に脳内で予測されているかを示唆する錯視である。この錯視研究をベースにして、意識における視覚認知の包括的仮説である『デルタモデル』(予測説の一種)を提案した(上図E及び文献6)。最近、本研究をAIによって発展させた。深層ニューラルネットワークに予測符号化仮説を組み込み、自然な景色を学習させただけで深層学習機が『蛇の回転錯視(北岡明佳博士考案)』の回転知覚の再現することを発見した(上図F及び図1)。本研究は、人工脳を創ることによって逆心理学を可能にしたものである(文献1と2)。
2)ヒトの視覚メカニズムを解くツールとして、様々な錯視を作成し、様々なメディアを通して発表をしている(本研究室のホームページを参照)。代表的な作品としては、渡辺錯視2010(別冊ニュートン誌に掲載)、棚の影錯視(図2)、ベンハムモンスター錯視や岡崎げんき館錯視(いずれも錯視コンテスト2位入賞)などがある。
ヒトとメダカの視覚系の研究を同時に進め、その共通性と違いを明らかにすることで、視覚系による認知機構の生物学的進化についても理解が進むと考える。
図2. 棚の影錯視
左右の棚及びその影は全く同一の図形であるにも関わらず、左の影よりも、右の影のほうが濃く見える。本誌を逆にして見れば、影の濃さは逆転する。第五回錯視コンテスト入賞作品。
本研究室では上記の研究課題に関連する共同利用研究を募集しています。また、数理解析を専門とする研究者との共同研究を求めています。興味のある方は御連絡下さい。
渡辺 英治 准教授 E-mail: eiji@nibb.ac.jp