植物学者 塚谷裕一の
調査旅行記

パプア・ワイゲオ島の調査(2008年4月-5月)その4(最終回)

 翌日。第二キャンプ地に予定したKali Bambuは、ここからけっこう遠いというので、勢い込んで出発しようとしたが、村人たちの動きが鈍い。遠いなら急がないといけないのではと焦る。そうして焦って出発してみたところが、なんたることか、歩き出して早々に、開けた河原に着いてみれば、そこがKali Bambuだという。カリは現地語で川のこと、バンブーは英語の竹(ただし熱帯のバンブーなので、日本や中国の竹のように横に地下茎で広がらず、株立ちになる)である。実際、この河原の背には、大きなバンブーが茂っていた。拍子抜けである。もったいない。もっと先に行けないのかと思ったが、次にキャンプに適した場所は、相当遠く、今日のうちはたどり着けないという。荷物はまだだいぶ後ろの方を歩いているので、それを待たないと方針を変えることもできない。あたりをうろうろしながら岡田先生と相談の末、村人たちが到着し次第、ここにキャンプを張っておいてもらうことにして、私たちは行けるところまで偵察しに行くことにした。

 ここからが、思えば苦難の連続だったのである。

 この日を皮切りに、来る日も来る日も、膝下は当たり前、ときどき腰の深さ、場合によっては腹を超える水位の川を徒渉するという、かなり危険度の高い川歩きが続いたからだ。山道を歩くことができたのは、ほんのわずか。それというのも、目的地に向かう道がないからである。廃村になった後も、河口付近に焼き畑は一部残っていて、そこまでは船で通っている村人もいるようだったが、それも川の本当の河口付近だけ。村人たちも所詮、森の奥には用がない。用がないばかりか、私たちも目撃したように、川近くの木の枝の上には、噛まれたら最後助かりようのない毒蛇、グリーンスネイクがとぐろを巻いている次第。狩りもすることはあるだろうが、わざわざDanai山の方まで来る必要はなく、村の裏でやれば事が足りるようで、Danai山に分け入る道というものがないのだった。となると確実なのは、行けるところまで川に沿って遡上すること。というわけで私たちはこれ以来、どこか山につながるルートはないかと、川をのぼり、陸に上がってみては、午後2時を過ぎるとお約束のように降り出す豪雨に見舞われて、這々の体で退散する、という日々を送り始めた。行きも帰りも、船を使うには水位が低すぎるので、川の中を歩くしかないのである。

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川歩き

 しかしこれは本当に疲れる歩きだった。なぜなら川の石が丸石で、しかも藻の繁殖が激しくて、ぬるぬるしているために、滑って滑ってしかたないからである。その上、最近の登山靴は水気に弱く、劣化してくると靴底が剥がれるという、極めて脆弱な構造になっている。私の持っていった登山靴も、この調査で履きつぶすつもりの古いものだったこともあり、川歩きの初日に片方の靴底が剥がれてしまい、困ったことになった。靴下を靴の上からかぶせて「靴上」にしたり、紐でがんじがらめに縛ってみたり、いろいろ試みて何とかしのいだが、新品の靴だったとしても、あのぬるぬるする石の上では、同様に歩行困難だったと思う。最近、水陸両用の登山靴の開発も始まったが、今はまだ理想的なものはないようだ。一般に出回っている沢登り用の靴は、底が弱いので、川から上がってからは山用の靴に履き替えないと、たちまち底がすり減ってしまうため、ごつごつした山道には適さない。一方、登山靴は底が硬いため、ぬるぬるした丸石の多い川歩きには全く適さない。両方に適した靴が実用化されると、こうしたとき助かるのにと思ったことだった(需要は限られるだろうけれど)。

 ただ、話はそれるが、この川の石に藻が大量に生えているという事実は、食事の面には大きくプラスとなった。藻を食べる小魚や小エビがたくさん暮らしていたからだ。何しろ川歩きの間中、私たちの足の間をたくさんの魚やエビが逃げまどうのである。時には、手ほどの大きさの手長エビまで跳ねていく。となれば、これらを食べる大きな魚もいるわけで、魚介類は豊富だった。もちろん、私たちにはこれらを捕る術も暇もないが、一緒に案内にまた雑務に来てくれている村人たちの側には、そのどちらもがあるのだった。

 川の支流をあちこち試みつつも、どこへ行ってもDanai山に上るルートが見つからないまま、私たちは結局、
Kali Bambuに戻らざるを得ない日々。キャンプを移動しない限り、そのキャンプ地を守る村人たちには、することがない。暇なものだから釣りをして遊んでいる。ついに彼らは周りの竹を切って組んで、立派なベンチまでこしらえたほどである。釣り用のベンチだ。また夜は夜で、夜行性の鰻を釣ったり、ライトを使って大きな手長エビを集めてきてくれた。いずれもおいしいもので、おかげで食には全く困らなかったのである。川が実に豊かな島だ。ニッケル鉱山開発の話が持ち上がっているのが、実に勿体ないところである。

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川の幸

 反面、陸地は貧栄養のようだった。というのも、アリ植物や腐生植物など、土地が痩せすぎているところに発達するようなタイプの植物が、大変目立ったからである。中でも目についた一つが、アリノトリデだ。

 アリノトリデはパプアをその分布の中心にするアカネ科のアリ植物の一群で、木に着生する性質があり、加えて、その茎の基部を太らせ、中に迷路状の蟻の巣穴を自発的に作って蟻に提供する特性がある。自分の体を蟻の巣に提供することのメリットは、蟻が外から運んでくる餌屑や排泄物から、窒素やリンを吸収できること、それと蟻が家守として植物を守ってくれることだ。蟻にしてみれば、雨の多い熱帯の森の中、大事にすれば勝手に大きく太って自動的に増築されていく家だから、これは言うことがない。こういう蟻との共生関係が成立する環境は、えてして、土壌中の窒素やリンが不足しがちで、固着性の植物にとっては不利なところである。このアリノトリデが、ワイゲオ島の森の中では、あちこちの木に着生して、まるまると太っているのだった。

 面白いのは、このアリノトリデの、蟻の巣になっている太い部分を、狙って食べる動物がいるらしいことである。植物としても一番太っている部分だし、しかも中には栄養価の高い蟻の卵やサナギがぎっしり詰まっているので、蟻の攻撃をものともしないタイプの動物にとってみれば、魅力的な食べ物に違いない。森を歩いていると、時々、蟻の巣になっている部分だけ食べて、他の細い茎や根の部分は食い散らかしたという感じの残骸を見た。そういう動物に対しての防御なのか、そう思って見ると、この植物は、ひどく痛い棘を持っているものの、その棘が生えているのは、蟻の巣になっている部分に限っているのだった。

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アリノトリデをまっぷたつにしたところ

 もう一つ目立ったのは、これもまたパプアが分布の中心であるホンゴウソウ科の植物である。ホンゴウソウ科は科全体が腐生植物という変わりもので、葉緑素を持たない。代わりに根にカビの類を分解する能力があって、根に侵入してきた特定のカビを「食べて」栄養源とする。日本にも数種が分布しているほか、これまでも東南アジアやマダガスカルの調査など、亜熱帯〜熱帯の調査では時々目にしてきたが、毎日、複数種のホンゴウソウ科の花を見ることができたのは、ワイゲオ島でのこの調査が初めてだった。しかもホンゴウソウ科の多くの種は、独特の紫を帯びた赤色をしているのだが、ここワイゲオ島では、全体が紫色でしかもかなり大型のもの(
Sciaphila arfakiana)も見ることができたうえ、通常見られる森の中だけでなく、後日には、島を貫く湾に面した、すなわち海岸縁の潮風のあたるところでさえも一種を見ることができた。今までのホンゴウソウ科に対するイメージを塗り替える経験である。それだけにかなりの種数、採集ができたので、中には新種も・・・と期待したのであるが、帰国してから調べてみると、残念ながらすべて既知種だった。それでも、多くの種を生きた状態で一度に見比べることができたのは、とても良い経験だったと、負け惜しみでなく言うことができる。

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ホンゴウソウ科の一種 Sciaphila arfakiana

 しかし調査すれどもすれども、たどり着ける標高は容易に上がらず、川の水位は日を追うて苦しくなってくる。私たちはようやく焦り始めた。来る日も来る日も川。いずれもかなり厳しい徒渉を強いられ、体の外も中もびっしょりの毎日で、カメラも水濡れで壊れ始めたが、いずれのルートも、なかなか高度を稼げない。その途次、前述のホンゴウソウ科の植物や、有袋類のフクロカンガルーの仲間など、珍しい動植物も目にすることはできたが、「新種だ!」というような発見にはなかなか結びつかない。腐生植物も、上述の通り、他ではめったに見ないホンゴウソウ科や、やはり比較的珍しいリンドウ科の腐生植物の
Cotylanthera tenuisは頻繁に見られる一方で、私が期待していたヒナノシャクジョウ科やタヌキノショクダイ科の方の腐生植物は、ほとんど見つからない。さらに不思議なことには、東南アジアの熱帯の森にはわりあい普通に見られるはずの、岡田博隊長(大阪市大植物園・園長)が専門の一つとするアノナ科の木がほとんど全く見あたらないのだった。アノナ科は、ポポーや最近日本でも営利栽培が普及し始めたチェリモヤを含む科で、未記載種がまだたくさんあると思われる科である。岡田先生はこの科の調査を楽しみにしていたのに、それが全くないので、焦っていた。そのくせ、キャンプ地のすぐ近くの森に住む鳩のような大きさの鳥は、毎日毎日、「ア、ノ、ナ、セー。・・・ア、ノ、ナ、セー」と惚けたような声で鳴くのである。また岡田先生のもう一つの専門、サトイモ科も、なぜか特定の属ばかり見つかって、岡田先生が期待していた属がほとんど見あたらないのだった。

4-2 Cotylanthera
リンドウ科の腐生植物 Cotylanthera tenuis 
ごく小柄でかわいらしい種類


 しかも高度が稼げないので、標高が高いところに生えるタイプの植物が全く調査できない。加えて川沿いばかり歩いているため、山地性の植物が調べられないのは、困ったことだった。道がないため川を遡行するので、植物調査としては効率が非常に悪い。しかも今回の調査エリアの川は、比較的水位の上昇が少ないのか、または林が迫っていて日照が悪いためか、川の周囲に発達するはずの渓流沿い植物が乏しかったため、川の周りに生える植物種数が限られていた。そのため、川を歩いている間は、ただひたすら歩いているだけで、調査にならないのである。川を詰めていって、陸にあがれるような地点にたどり着いてから、ようやく調査、しかも午後になると豪雨であたりの視界が閉ざされてしまうので、とにかく時間との戦いだった。事前に思っていたような簡単な登山ではなさそうだと、ようやく私たちも理解し始めた。村人たちによれば、どうやらDanai山にはこれまでだれも登頂に成功していないらしく、歩いて登頂を目指した中で、一番山奥まで行ったのはベルギー人の一行で、ベルギー人キャンプ(Belgian hut)と名付けられたキャンプ地を川の上流に設置して、そこから登頂をトライしたものの、結局断念したという。大した標高ではないものの、山頂までルートを開拓しきれなかったもののようである。

 困ったことに、私たちにもタイムリミットが迫っていた。しかも雨季の盛りにさしかかってきたらしく、午後2時を過ぎると毎日必ず豪雨になる上、その結果として、キャンプ地の目の前を流れる川の水位が、日々確実に上昇していく。夜など、キャンプまで川の水位が届いてしまうのではないかと心配になる時さえあった。あまりぐずぐずしていると、山に登れたとしても、2004年冬のカリマンタン・ムラー山系調査の時と同じく、今度は川を渡って帰れなくなる可能性がある。ここのキャンプ地に来るまでの間にも、腹を越える水位の徒渉地があった。水流がそれほど強くない所だったので、行きにはそれでもなんとか渡れたが、これ以上水位が上がり、しかも水流が加わったら、とうてい渡れるものではない。流されでもしたら、命に関わるものだ。

 ともかく一度、そのベルギー人キャンプを目指してみることにした。

 その日。ベルギー人キャンプはかなり遠く、川をひたすら詰めて行って、ようやくたどり着いたのは10:37だった。残り時間はもうあまりない。急いでその奥の山道をたどる。なるほど、何年か前に木を切りながら道を探していったらしい形跡が残っている。すでに木がその空白を埋め育ってきていたが、村人たちは、その腰に下げた山刀で、一撃のもとそれらを次々と切り倒し、かつての道を再現して進んでいく。私たちもその後を追って、山に分け入ることにした。

 しばらく進むと、環境が明らかに変わった。これまで毎日見てきた低地熱帯林ではない、雲霧林の性質を持った林である。雲霧林とは、熱帯の森の、川から立ち上る水蒸気が冷えて雲や霧になりがちな標高に発達する森で、川縁のように林床が水浸しになることが少ない代わり、地上部全体が霧で湿ることが多いため、着生植物が発達し、林床にも苔が目立つのが特徴だ。今回の調査で始めて、明らかにそういう性質を示す雲霧林に入ることができた。さすがに嬉しい。今まで見なかったタイプの着生ランが次々と現れ、蘚類も林床を覆いだした。やがて、食虫植物のウツボカズラの一種、
Nepenthes ampulariaと思われる種類も出てきた。他の土地で普通に目にするNepenthes ampulariaとちょっと違い、紫の段だら模様を捕虫の壺に持つ変わりものである。珍しく思って写真を撮り、その先に進んでみて、目を見張った。林床一面に、このNepenthes ampulariaの壺が並んでいるのである。

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Danai山中腹のNepenthes ampulariaに似たウツボカズラ

 この先には何が見られるのだろう。期待が高まったが、残念、ここでもうついに時間切れとなってしまった。もうそろそろ、午後の雨が始まる時刻。少なくとも一回は、Kali Bambuのキャンプに引き返さなくてはならない。後ろ髪を引かれる思いで、山を下り、川を下り、やはり始まった豪雨に、川の中をこけつまろびつ、びしょぬれになってキャンプに戻った。

 その後、隊長の岡田博先生と相談である。たしかに今日のエリアは、今までに見られなかった植生があり、その上も是非見てみたい。だがその間にも、今日の雨もあって、キャンプの前の川の水位は上昇してしまった。ベルギー人キャンプから確実に山に登頂できるという保証はなく、しかもキャンプをあの場所まで移して山を調査するには、アタックを1日だけに限ったとしても、全3日を要する。私たちに残された日数から見て、ぎりぎりすぎる。しかもその間にも川の水位が上昇するとすれば、安全に撤収できるどうか、かなり不安がある。今回は、諦めるしかないだろう。・・・・・・そういう結論に達さざるを得なかった。仕方ない。残る日数はいったん村に戻り、村の裏山の調査に活かすことにした。

 この夜、雨が上がったので裏の竹藪に小用に立った岡田先生が、思いがけないものを見つけてきた。光る茸である。緑に光るヤコウタケ。朽ちかけたバンブーから生えている。はたと気付いてバンブーの茂みを見上げると、そのあちこちに緑の光がともっている。ヤコウタケの灯火の下、知らず私たちは何日もキャンプをしていたのだった。

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光るヤコウタケ

 カリ・バンブーのキャンプを後にする朝は、今までにないすっきりとした晴れだった。雲一つない快晴。こんな日ばかりだったら、もう少し調査も楽だったのにと思いつつ、川を下りる。前夜半から雨が上がったせいか、水位も心配したほど上がっていない。かんかん照りで暑かったが、思った以上に楽に、第一キャンプ地まで降りてくることができた。青空、青空である。

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それまでのいかにも雨季らしい天気が嘘のように晴れた

 いざ戻るとなると、本当にあっけないと思いつつ、一休みして、第一キャンプ地の裏の茂みに隠しておいた船を取りだし、荷物を積み、と思ったところでトラブルが発生した。古い船だったので、底板が破損して、一気に浸水してしまったのである。これではもう使えない。船は村の唯一の交通手段、漁業の手段、財産だから、持ち主は青ざめ、落胆の面持ちが隠せない。ポーター役の村人たちも、ここから先は背中の重荷を船に預けて楽に下山と思っていたのに、そうはいかなくなった。しかも人数より荷物の数の方が多いので、ある程度往復を重ねなくてはならない。みんなでがっかりである。船の破損した河原で、相談が始まった。その相談がまとまるまでは、動けない。私たちは昼の弁当を食べ、河原にびしょぬれの雨具やら服やらを一面に広げて干して、待つことにした。そのとき目にしたのが、赤い模様を持つすばしこいハンミョウの一種である。京大の荒木崇博士は、フロリゲンの研究で世界的権威だが、趣味ではハンミョウの仲間を専門としている。そのため、私が東南アジアのどこかに行くと知るたびに、ハンミョウを採集してくるように言うことを思いだした私は、これを捉えてみることにした。翻弄される。すぐに汗だくである。しかし時間は幸い、たくさんある。何度も何度も逃げられたが、そのたびに学習を重ね、岡田先生の助力もあって、ついに素手でなんとか採集を果たした。パプア産のこのすばしこく、また強靱なハンミョウを、捕虫網の助けなしに素手で採集したのは、世界でも私が最初でないかと思う。ここに記録しておきたい。

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ワイゲオで見つけたハンミョウ
すばしこい上に非常に頑健で、やっと捕まえたと思っても、叩き潰さんばかりにしないと、ぷいっと飛んで逃げていってしまう。


 それはともかく、村人たちはみんな頑張ってくれた。船を諦め、みんなうんうん言いながら重い荷物を炎天下、河口まで運んでいってくれたのである。河口に着いたら着いたで、今度は湾の海流を横切るのに堪える船が足りないだけに、またずいぶん待ちぼうけを食ったが、それでも日の高いうちに無事、村に帰り着くことができた。すがすがしい海の風景。久しぶりに、雨の心配なしに寝られる。村人も、特に少年たちは、予定より早く戻ったために日当が減ったにも関わらず、早く村に帰れて嬉しいようだった。なお船の持ち主には、修理代を出してあげることにした。

 翌日からのことは簡単に紹介しよう。残された日数は、ギャアギャアとうるさく白いオウムが飛び交う村の裏山を中心に調査を進め、待望のアノナ科の植物も、結果として新種ではなかったものの、採集することができた。湾の奥の方にも、船を出してもらって調査する機会を得た。そこでは、石灰岩に固着するシダや、海端に生える珍しいホンゴウソウ科の植物、そしてパプアの代表的な主食、サゴヤシの幹からサゴデンプンを取り出すやり方を実見できた。限られた日数の中の調査、これで諒とすべきだろう。この間、恐れていた病気も重いものにはかからずにすんだが、ただ、正体不明の発疹が足首にできて非常に痒くなったのはちょっと迷惑だった。岡田先生などは、その発疹の一部が膿んでひどいことになっていたし、山の中では一時、熱が出て半日寝込んだほどだったが、あとは大過なしであったのは、幸いだった。というのも、後から聞いた話では、同時期に平行して行なわれたバタンタ島の方の調査では、マラリア患者と腸チフス患者が発生したというからである。

 この時のワイゲオ島調査からは、少なくとも現時点では新種の植物が出ていないが、新産地ではないかと思われるものはあり、継続解析中である。またインドネシアの中でもパプア地域でしか見られない種類を数多く見ることができた経験は、今後に生きてくると思う。その一方で、この時の調査データが、インドネシア政府による現地の保護区域設定にぜひ結びつくよう、祈ってやまない。その全貌を知るには調査期間が短すぎたきらいがあるが、トータルで見た自然の豊かさは、実に素晴らしいものだった。それにしても前回のムラー山系に続き、二度とたどり着く機会は得られないだろうほどの遠隔地、保護が成功するかどうか、自分で目にすることが叶いそうにないのはちょっと残念である。

 ちなみに河原で採集した赤い模様のハンミョウは、荒木崇博士によって
Lophyridia decemguttata durvilleiと同定された。パプアに固有の種類だという。

(2010年9月28日)