植物学者 塚谷裕一の
調査旅行記

パプア・ワイゲオ島の調査(2008年4月-5月)その2

 出発の日はもう目前に迫っています。翌週の水曜日です。週末を挟んでいますから、実質2日しか残されていません。もはや、調査そのものをキャンセルするしかないかもしれないとも思いました。しかしまだ可能性はあります。なにしろ、出ているはずの軍の許可がないのに、調査ビザが出ているくらいです。それなら軍の許可も、後からもらえることだってありそうです。あるいは全く別のルートがあるかもしれません。できる限りの手配をした上で、月曜日まで待つことにしました。

 待っていると、案の定というか、月曜になって、謎の「何か」の文書が送られてきました。コピーも何もしてはいけない、というくらい、機密性の高い文書です。インドネシア語で書かれているので、辞書を引きながらでないとどうせ読めませんし、ともかく急いでいます。さっそくこれを大使館に持参してもらいました。「何か」が来たので、これを見て欲しい、というわけです。

 するとなんと、問題なくビザがもらえることになりました。しかも、本当なら書類提出の翌日以降にならないと、ビザはもらえないのですが、特別にその日の夕方に発行してもらえることになりました。何の書類だったのか分かりませんが、効果覿面です。本当に出発ぎりぎりのことでした。かくしてやっと、2人のパスポートにビザを添付してもらうことができましたが、もう出発は翌々日。大阪市大の岡田教授には、わざわざ東京までパスポートを取りに来ていただくこととなりました。まずはともあれ、難関突破です。

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 かくして私たちは、四月の十六日、空路ジャカルタに飛びたちました。いつものように、拠点とするボゴール植物園から送迎車が迎えに来てくれています。久しぶりの、熱帯のぬるい空気を楽しみながら、宿に入りました。

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ボゴール植物園正門:いつも調査拠点にしているボゴールの植物園。東南アジアを代表する世界でも有数の規模の植物園だ。


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ビワモドキの一種:ボゴール植物園の植樹中、私のお気に入りの花の一つ。


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寄らば大樹の陰:ボゴールでも最大級の樹。熱帯では板根の発達する樹が多い。

 翌日からは、諸々の許可を得るため、役所参りです。ボゴール植物園に挨拶に行き、植物園の車でジャカルタに出ました。内務省など各方面から、調査に必要な許可を得るためです。通常は、調査ビザの添付されたパスポートを提示し、要求された書類に記入して自分の写真を添付して出すと、場合によってはその日のうち、遅くとも2,3日以内にそれぞれの役所から許可書をもらうことができます。今回もそのつもりでいたところ、最初のところで早速トラブルが発生しました。今回のビザでは、パプアに入ることが許されないというのです。

 またもやパプアです。よほどパプアは立ち入り規制が厳しいと見えます。私の面倒を見てくれているボゴールの職員と、担当係官の間で、私たちそっちのけで、どうすべきかの相談が始まりました。どうなることやらと思っていると、詳細は分かりませんが、結論として、ともかくいつものように手続きを続けると共に、ジャカルタでなくボゴールで入国審査手続きをして、パプア入りの許可を取るように、ということになりました。いつもはジャカルタの役所を巡るだけで1日がかりです。それに加えてボゴールでも手続きをするとなると、さらに余計に少なくとも1日かかります。今回は国際共同調査隊なので、パプアへの出発日が決まっています。来週の月曜日。さあ間に合うのでしょうか。

 ジャカルタでの諸手続き、それに調査費用の現地通貨への換金をすませ、ボゴールに戻った私たちは、翌朝、改めてボゴールでの手続きに移ることになりました。窓口に行って申請書を出すと、別の窓口で顔写真を撮ってくるように言われ、それを添えて何だかたくさんの書類を書いて提出し、待つこと数時間。待っている間にお昼時間となったので、役所の近くの屋台を覗いて、適当に昼をすませます。昼は済みましたが、やることがありません。とにかく待ちます。この間、ジャカルタでの手続きの続きはどうなっているかというと、本人がいなくてもできる分について、ボゴールの人たちが代理でやりに行ってくれています。時々、ジャカルタに行ったチームとこっちに残って私たちの世話をしてくれている職員との間で、携帯電話で連絡を取り合っている様子からすると、順調というわけではなさそうです。

 待ちくたびれて、役所に併設の軽食屋に出向いてアボカドジュースを飲んだりしても、なかなか時間をつぶせるものではありません。思ったよりずっと混んでいた窓口も、だんだん空いてきて、相変わらず待っているのは私たちと、本当に窓口を待っているのかどうか分からない、暇そうな人たちと、待合室のテレビを眺めている役人くらいになってきました。もしや、このまま明日また来い、ということになるのかと思っていると、ようやく2階にと手招きされました。

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アボカドジュース:最近は日本でも少しずつお目にかかれるようになってきたが、まだ本場の味は遠いようだ。茶色いのはチョコレートシロップ。

 手招きされた先は薄暗い一室。役所の人たちの食事場所なのか、飲み物や食べ物が散見されます。そこでまた厚めの紙を渡され、何をするのかと思ったら、指紋捺印でした。両手の指紋を、親指から小指まで、全部、係官が1本1本、私たちの指をとって、黒インクで取るのでした。左も右もです。中指も薬指も。その上、最後は手丸ごと全体の指紋(?)を取るという念の入れよう。驚きました。やれやれ、しかしこれが済んだところでやっと、東京でもらったのとは別の、午前中に撮影した写真が付いたビザをもらうことができました。これで晴れて、パプア入りできるようです。これが金曜日のこと。出発は月曜。長い道のりでした。

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 こんな手続きをしている間、私たちは今回の他の調査メンバーにも紹介されました。インドネシア科学院側からは、魚、植物その他、いろいろなジャンルの研究者が集まっています。外国チームとしては、私たち日本人の他に、フランスのチームが来ていました。魚の研究者、イチジクとイチジクコバチの研究をしている研究者などです。本当はもう1チーム、外国からの参加が予定されていたのだそうですが、ビザが間に合わず、キャンセルになったと聞かされました。さもありなんという感じです。通常のインドネシア調査のつもりでいたら、ほぼ間に合わないでしょう。本当に今回のビザの一件は大変でした。

 今回、調査本隊は、Batanta島を目指します。私たちは、日程の問題もあり、また植物の調査は他の生物の調査と行動パターンが少し違うこともあって、隣のWaigeo島を目指しますが、いずれもパプア本島の西端にあるソロン(Sorong)の町から船で行くことになります。そこでソロンまでは全員一斉に移動ということになりました。となると大部隊です。20名を超しますから、それぞれが持ち込む調査機材もかなりのものになります。トンというオーダーになります。大丈夫なのでしょうか。

 今回の空路は、ジャカルタからスラウェシ島のマカッサル、マナドを経て、乗り継ぎでソロンに飛ぶというルートで、途中で飛行機は小さくなります。ただでさえ私たちのような調査隊の荷物は多くなりがちで、下手をすると超過料金を取られることにもなることさえあるのに、こんな大部隊で行って、果たして飛行機に乗りきるのでしょうか。

 今回の便は深夜便です。夜にジャカルタを発って、丑三つ時に飛行機を乗り継ぎという強行軍なので、ソロンに朝着いたときは、かなりへとへとでした。やっと、パプアの地、巨大なニューギニア島のほぼ西端に当たるソロンに着いたわけですが、ソロンの空港の到着ロビーには、その感動を促すようなものは見あたりません。がらんどうです。壁にはエイズに注意、という張り紙がしてあります。鳥インフルエンザに注意、とも。

 そんな風景を見ながら、いかつい荷物運びの人足たちの手で荷物が運び込まれるのを眺めていると、どうもやはり数が足りません。しばらくすると、インドネシア科学員の隊の責任者から、通知がありました。「荷物が多すぎて飛行機に積みきれなかった。80個の荷物のうち、20個だけ届いたので、残りは次の便で来るはず、ホテルに行ってホテルで待っていてください」とのこと。やっぱり、というところです。

 ともあれ難関のパプア入りは、こんなふうにして、ようやく実現したのでした。

(2009年10月5日)

パプア・ワイゲオ島の調査(2008年4月-5月)その3に続く