2010年 8月9日

幹細胞の寿命は意外にも短かった!
〜マウスの精子幹細胞は次々と入れ替わる〜

精子は、次の世代を作るとても大切な使命を帯びた細胞です。精子を作るおおもととなるのは「幹細胞」です。大切な遺伝情報の原本(オリジナル)を持つ「幹細胞」は精巣の中で一つ一つ大切に守られていると、当然のごとく信じられて来ました。ショウジョウバエなどの場合は確かにその通りなのです。
 今回、基礎生物学研究所(生殖細胞研究部門)の吉田松生教授、英国ケンブリッジ大学(物理学科)のBenjamin D. Simons教授らの研究グループは、マウスの精子幹細胞の運命を1年以上にわたって追跡した結果を数学的に解析しました。その結果は驚くべきものでした。個々の幹細胞は決して特別に守られている訳ではなく、平均してわずか1〜2週間の寿命しか持たず、次々と消滅していたのです。そして、失われた幹細胞は、他の幹細胞から生まれた細胞によって補充されていたのです。更に、数学的解析の結果は、どの幹細胞が消えてどの幹細胞が生き残って増えていくかは、偶然に(確率論的に)決まることを示していました。
 このことから、幹細胞のグループがお互いに入れ替わりながら自らの集団を維持すると同時に精子を作る細胞を供給していることが分かりました。一つ一つの幹細胞が厳格に非対称分裂をするという定説に代わる、新しい幹細胞の姿です。以上の成果は、米国科学雑誌 Cell Stem Cell (セル・ステムセル)2010年8月号にて発表されました。

[研究の背景]

ほ乳類の精巣では、長い期間にわたり多数の精子が作られます。それでも精子形成が尽きないのは、精巣の中には精子のもとになる「幹細胞」があって、この細胞が自分自身を残しながら分化細胞を産み出すからです。しかし、この「幹細胞」の正体と精巣内でのふるまいは謎に包まれていました。吉田教授の研究グループは、独自の研究手法を用いてマウスの精子形成幹細胞の正体を追求しています。

精子幹細胞は、次の世代に伝わる大切な遺伝情報を保存しています。それゆえ、オリジナルの幹細胞は特別に守られているだろうと考えられて来ました。定説となっている幹細胞のふるまいを図1に示します。幹細胞が分裂してできる2つの細胞のうち、一方が必ずオリジナルとして保存され、もう一方が精子へと分化するとする考えです。このような分裂を非対称分裂と呼びます。幹細胞の分裂は常に非対称分裂であって、これによってオリジナルが守られるという考え方です。

精巣では、一生を通して一定の数の幹細胞(マウスの場合精巣あたり数千個)が精子を作り続けることが分かっています。そこでは、図2に示すように、一度成立した幹細胞の集団が、ずっと非対称分裂を続けながら精子を作っていると予想されていました。図2では、一つ一つの幹細胞とその子孫(系譜)をそれぞれ違う色で示しています。

[本研究の成果]

吉田らは、実際に幹細胞の一部に色を付けて、その子孫を追跡する実験を行いました。つまり、図2の中の一つの色(例えば青)の系譜だけに注目して観察したのです。図2の考え方が正しければ、色を付けた系譜は決して途絶えることなく、精子へと分化した細胞の数(色のついた細胞の数)も一定に保たれるはずです。

図3に実際の実験結果を示します。驚くことに、色の付いた系譜は、時間とともに減って行きました。つまり、幹細胞の多くは、長期間子孫を残すことなく消滅していたのです(分裂しでできた二つの細胞の両方が分化したか、細胞死の結果と思われます)。一方、生き残った系譜は、より多くの精子を作るようになっていました。これは、ある幹細胞の系譜が途絶えても、隣の幹細胞の子孫が新たな幹細胞となって、補充することを意味します。これを模式的に示したのが図4です。幹細胞が入れ替わることによって、最初に存在した5つの幹細胞の系譜が減る一方、生き残った系譜はより多くの精子を作るようになっています。

本研究では、理論物理学者であるSimons教授(英国ケンブリッジ大学)と共同して、図3のような実験データを数学的に解析しました。その結果、一つ一つの幹細胞は平均して1〜2週間の寿命しか持たず、次々と隣人と入れ替わっていることが分かりました。更に数学的に詳しく解析した結果、どの幹細胞が消えてどの幹細胞が残るかは、偶然に(確率論的に)決まることが分かったのです。

[これからの展開]

わたしたちは、ほ乳類の精子形成幹細胞についての考え方を根本から変えなければならないようです。オリジナルの幹細胞だからといって特別扱いされて守られているのではありません。オリジナルは意外にも失われやすく、オリジナルが失われるとコピーによって補充され、そして、オリジナルの幹細胞もコピーして作られた幹細胞も区別なく、同じ「幹細胞」として働いているのです。それでは、コピーはどのようにして作られるのでしょうか?吉田教授のグループは今までに、精子に分化を始めた細胞が幹細胞に「若返る」ことを発見しています(2010年3月のプレスリリース http://www.nibb.ac.jp/press/100319/100319.html)。コピーから幹細胞が作られる時にもこの「若返り」が起こるのか、あるいは、非対称分裂ではなく2つの幹細胞を生む「対称分裂」が起こっているのか、今後の重要な課題です。

これらの研究の結果ほ乳類の精子幹細胞の真の姿が解明されたならば、幹細胞を標的とした新たな不妊治療や避妊法の開発などの応用が期待されます。


図1

図1:幹細胞の挙動の定説(非対称分裂)
幹細胞は常に不均等に分裂し、分裂により生じた二つの細胞のうちの一方が幹細胞として保存され(自己複製)、もう一方が分化するという考え方。


図2

図2:幹細胞が図1のように挙動すると仮定した場合の精子形成幹細胞のモデル
非対称分裂によって幹細胞のオリジナルが保存される結果、各々の系譜はとだえることなく一定の数の精子を作り続ける。


図3

図3:実際に観察された幹細胞系譜のふるまい
(A)色を付けた一つの幹細胞の子孫からなる「系譜」の広がり(青い部分)。精細管(精子を作る管)の青い細胞で埋まっている部分が一つの系譜。
(B)青色の幹細胞系譜の、精巣あたりの数(上)と、大きさ(子孫細胞の数)(下)の時間変化。生き残る系譜が減少する一方、残った系譜は広がっていた。


図4

図4:本研究の結果明らかになった幹細胞のふるまいのモデル
幹細胞は頻繁に失われ、隣の領域の幹細胞から生まれた(コピーされた)幹細胞と頻繁に置き換わる。実際の細胞分裂のパターンは未解明であり、図はモデルの一つである。


[発表雑誌]

米科学雑誌 Cell Stem Cell (セル・ステムセル)
2010年8月6日号に掲載

論文タイトル:
"Mouse germ line stem cells undergo rapid and stochastic turnover"

著者:Allon M. Klein, Toshinori Nakagawa, Rie Ichikawa, Shosei Yoshida*, Benjamin D. Simons*
(*印:責任著者)

[研究グループ]

本研究は基礎生物学研究所の吉田松生教授、市川理恵技術支援員、英国ケンブリッジ大のBenjamin D. Simons教授、Allon Klein研究員、京都大の中川俊徳研究員による研究グループにより行われました。

[研究サポート]

本研究は、文部科学省科学研究費補助金 新学術領域研究(配偶子幹細胞制御機構)のサポートを受けて行われました。

[本件に関するお問い合わせ先]

基礎生物学研究所 生殖細胞研究部門
教授 吉田 松生(ヨシダ ショウセイ)
Tel: 0564-59-5865(研究室)
E-mail: shosei@nibb.ac.jp

[報道担当]

基礎生物学研究所 広報国際連携室
倉田 智子
Tel: 0564-55-7628
E-mail: press@nibb.ac.jp