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ネパールランタン谷の調査(2001年5月)2001/08/23

 科研費海外学術調査の関係で、2001年5月にネパールのランタン谷を調査する機会を得ました。以下に概略をご報告します。

 2001年5月の調査は、もともとは日本とネパールによる、ネパール産植物の共同研究40周年を記念したシンポジウムに付随して行われたもので、エクスカーションの性質が強く、日程も9日間と短期間でした。山歩きをなさる方ならランタン谷の名はよくご存じでしょう。海外トレッキングのガイドには必ず出てくる有名な観光地、「花の谷」として知られるフラワーウォッチングのメッカですから。

langtang1.jpg ランタン谷

 私たちヒマラヤ植物研究会のメンバーは、夏のモンスーン期に1~2ヶ月の調査にはいるのが通例で、5月の春期、あるいは10月の晩秋期には あまり調査したことがありません。それだけに今回、5月のランタンは「花の谷」というほどの花に満ちるには早すぎましたが、逆に、今まで本や写真、標本でしか見たことのない、早い時期に咲く植物に接することがました。またネパール訪問3回目にして初めて(!)、一般観光客の行く地域を訪れたのも、初体験として目新しいことでした(これまでは、外国人立入禁止区域ないし準禁止区域ばかり、特別許可を取って調査していたのです)。

 ヒマラヤのトレッキングは時として、亜熱帯の低い標高から始まることがあります。ランタンもそれに近く、私にとって昔懐かしいドゥンチェ(詳しくは拙著『秘境ガネッシュヒマールの植物』をご覧下さい)の先、道路の終着点であるシャブルベンシから歩き出す初日は、亜熱帯林がしばらく続き、暑くてあまりヒマラヤを歩いている実感はありません。しかしやがて温帯林となり、行程の最後になって急坂を登ってゆくと、ネパールの国花、ラリグラス(Rhododendron arboreum)が真紅の花を咲かせているところに出会います。日本の石楠花しか見慣れていないと、石楠花というのは小さい樹だと思ってしまうでしょうが、それは誤解です。ラリグラスは見上げるような高さになり、幹も大変太くなります。そういうラリグラスの純林が、私たちの訪れたときもまだだいぶ咲き残っていて、なかなか見事でした。この日の収穫は、イラクサ科の植物の一種が、私が仮に「季節的多肉植物」と呼んでいる特殊な形態をとることが分かったことでした。サンプリングしたものを帰国してから調べたところ、表皮細胞が変わったことをしているようです。

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温帯林の様子(左)とラリグラス(Rhododendron arboreum)の花(右)

 さて2日目以降からは、高峰ランタンリルン(7.245m)などの雪山を遠くに眺めながらの、いわゆるトレッキングになります。咲いている植物の種類も増え、雨期の調査にはない、晴れ晴れとした山歩きです。高度も楽に稼げます。やがて日本で二番目に高い山、南アルプスの北岳の高さに来たところで、かなり酸素が薄いのを自覚しました。走る気にはなれません。しかしここまで来ると高山植物らしい植物が増えてきます。行程4日目にたどり着く谷の奥、キャンジンゴンパは標高4.000mにちょっと足りないくらいの村ですが、有名観光地となっただけに、ロッジや小さいホテルが林立しています。軽い高山病で頭痛を覚えつつも、近くの氷河に向かって標高4.600mくらいまで登ってみますと、途中、リンドウ属、バイモ属、カラマツソウ属、あるいはマンテマ属などに混じって、タマザキサクラソウが満開でした。サクラソウ属はちょうどピークで、キャンジンゴンパの谷を挟んで反対側の斜面の林床などは、ピンクと鮮黄色の2種のサクラソウの大群落で、実に見事な彩りを見せていたほどです。

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タマザキサクラソウ(左)と奇妙な形態にコブラテンナンショウの異名もあるアリセマ・グリフィシー(右)

 このランタン谷、帰り道にも、これまで実の時期しか見たことのなかったヒマラヤタイリントキソウ(Pleione hookeriana)の花を認めるなど、とにかく初体験の続出した調査でした。この間、顔なじみのシェルパ、キッチンボーイ、ポーターたちとも旧交を温めることができましたし、新しいシェルパとも知り合いになりました。おいしいダージリン、アッサム、イラム茶も買うことができました(カトマンズはこれら紅茶の銘産地に近いので、おいしい茶葉が安く買えるのです。一部にはヨーロッパが本場と誤解されているようですが、あれはこれらの茶葉や中国のキーマンなどの茶葉をもとに、ブレンドして作っているもの。あくまで本場はインド、ネパールです。なお余談ですが、わが研究室の小川さんはさすが良く知っていて、帰国後、紅茶の葉と財布とどっちがおみやげにいいかと尋ねたところ、間髪入れずに「紅茶」と答えたものでした)。滞在中は他に、チベット料理、ネパール料理、インド料理も堪能しました。行き帰りのトランジットで滞在したバンコクでは、本場タイ料理を久々に満喫した次第です。

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マラヤタイリントキソウ(Pleione hookeriana

 それにしても首都のカトマンズが3年の間に激変し、インターネットカフェが林立していたのには驚嘆しました。帰国の当日、ゼネストで空港に向かう交通の便が確保できなかったのには「またか」と思いましたが、その直後、王家でご存じのような悲劇が起ころうとは、ついぞ想像もしませんでした。あの事件の直後、ネパールでは最初、明らかに建前と分かる「公式発表」がなされたようですが、その後、比較的早く正確な情報がネパール国民にも広まりました。これは、外国のニュースも直接伝わるインターネットの普及に寄るところも大きいと思います(衛星放送を見ている家庭も少なからずある)。事件後、ネパール植物資源省の一人から受け取った電子メールの内容からも、そういう印象を受けました。ネパールは今、どんどん変わる時期に来ているのだと思われます。

(2001年8月23日)

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コンテンツ

  1. 岡崎の植物(53)
  2. 植物学者 塚谷裕一の調査旅行記(9)
著者紹介
塚谷 裕一
東京大学大学院理学系研究科 教授
元 基礎生物学研究所 客員教授
塚谷 裕一

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