---解説---
Wnt-β-catenin系は、個体の発生から発癌まで多くの局面で重要な分子であり、精巣における重要さは想像に難くないが、多くの研究者でひしめき合っている領域だけに、飛び込んで行くには勇気が必要である。
今回、吉田松生教授のグループの徳江萌さんが、Actual stem cell (GFRa1陽性精原細胞、以下ASC)からPotential stem cell(Ngn3陽性精原細胞、以下PSC)への分化制御に関わるWnt-β-catenin系の詳細な解析の成果を公表した。PSCとは、内在性の幹細胞特性を維持しているが、細胞の存在する環境下では分化の方向へと運命決定されている幹細胞である。従って、ASCがどのようなシグナルによりPSCへと運命決定されるのかは大変興味深いテーマである。また、幹細胞ニッチの『ニッチ』が、本来凹みの意味であるこことからも分かるように、他の組織の幹細胞ニッチは解剖学的に特殊な領域に存在する。徳江さんは、精巣においては、ASC、PSCなどの精原細胞が混在しながら動き回り存在していることから、精巣の幹細胞は『オープンニッチ』に存在しているという概念のもとに本研究を行ったことも特筆すべき点である。徳江さんは、精巣のPSC集団特異的恒常活性型β-catenin発現マウスやβ-catenin欠損マウスを駆使し、Wnt6のシグナルがGFRa1陽性細胞をNgn3陽性細胞へと変換させることに関連していることを明らかにした。同時に、GFRa陽性精原細胞は、WntのInhibitorであるShisa6を発現し、これがWnt-β-catenin系の抑制に作用することにより、オープンニッチの環境下でASCであり続けていることも明らかにした。報告では、GS細胞を用いた系ではWnt-β-catenin系の効果は明らかであるが、β-cateninやShisaのノックアウトマウスの表現型としては、精細管全体を平均化してしまうと必ずしも強くない。しかし、実際には、一部の精細管において明確な細胞障害が認められており、GS細胞の表現型と照らし合わせ、これが何を意味しているのか、今後の重要な検討課題である。加えて BrachyuryがAsを中心とする幹細胞で発現することも見出されたことは、本研究の新たな展開が期待される。
本研究のような地道な努力の積み重ねが、将来、多くの研究者にとって貴重な情報となることは想像に難くない。(大保和之) >> PubMed
---解説---
「椅子から転げ落ちる」ような衝撃を受ける研究に、何年かに一度巡り会う。私にとって、小林一也さんの仕事はこのような研究の一つだ。プラナリアは、切っても切っても個体を再生することで知られるが、これは、卵と精子の受精ではなく体がちぎれて殖える生殖様式、つまり無性生殖を反映している。一方、同じ種類のプラナリアが、律儀に卵と精子を作って有性生殖をする場合もある。自然界では季節や餌の量に応じてこれらの生殖様式を行き来するようだが、転換のメカニズムは謎に包まれている。
驚いたことに、ミンチにした有性プラナリアを無性プラナリアに食べさせると、一ヶ月かかって有性化するという(まずここで椅子から落ちた)。小林さんは、学位論文でこの実験系を確立した。有性化を「物質」が担うことを示すことで、この不思議な現象をはっきりとした研究対象としたのである。それからウン十年、小林さんはこの物質を同定して有性化メカニズムを解明することをライフワークとしている。小林さんは、何十グラムものプラナリアの抽出液をカラムで分画し、各画分を無性個体に食わせて一ヶ月待つ、という超絶バイオアッセイで有性化活性を絞り込んでいくという(ここで二回目の椅子落ち)。「確かにそれしかないなあ。」と思うものの、「本当にそんなことができるんかいな?」との思いが先に立ってしまうのは、悲しいかな外野の思い入れの足りなさゆえか。小林さんは、活性の強い極上プラナリアを採集しに毎年山奥に行く、と嬉々として語るのである。
今回、ついに活性物質の一つが同定された。トリプトファンであった。そこらじゅうにありそうなアミノ酸と思ったら、ありふれたL体に比べて光学異性体のD体が500倍の活性を持っていて、どうやらこちらが正体のようだ(三回目の落下)。D体のトリプトファンを食べた無性個体は卵巣を発達させ、卵細胞を作る。有性個体は大量のトリプトファン(D体もL体も)を卵黄に蓄え、これを食べたこどもは有性個体となるという。うーん、実に面白い。小林さんの論文はしかし、この拙文とは正反対の丁寧かつ誠実な地に足のついた著述だ。そこでは、小林グループの今までの地道な成果が道標となって、一つの景色を織りなしている。小林さんとは十年来の付き合いだが、過去を知る者として、まるで大河ドラマを見ているようだ(その野武士的な風貌からも連想しているかもしれない)。
この研究が開いたドアの向こうには何があるのだろうか?D-トリプトファンがどうやって卵巣を作るのか?D-トリプトファンはどこから来るのか?どのようにして作られるのか?そもそも、Dアミノ酸がなぜこのような役割を担うのか?さらにワクワクすることに、D-トリプトファンが担うのは、有性化プロセスの一部だということだ。卵巣を発達させるだけでは完全ではなく、精巣や交接器官をすべて発達させて初めて、本当の有性化である。私たちが見ているのは、有性化現象のほんの序章に過ぎないのかもしれない。大河ドラマはまだまだ続く。(吉田松生)
>> PubMed
---解説---
次世代の個体を産み出す生殖細胞系列の源である始原生殖細胞(PGCs)は、動物では(分裂や出芽などより増殖する再生能力の極めて高い種を除いて)発生の初期に体細胞系列と分岐する。その分岐様式は卵細胞質に備えられた生殖質を取り込んでPGCsとなる「Preformation」型と、胚発生の過程で周囲のシグナルに反応してPGCsとなる「Epigenesis」型がある。一見大きく異なるように見える分化様式であるが、これらの違いはコインの表裏のようにも見え、例えば同じ両生類でも有尾目と無尾目では異なる分化様式を採用している。生殖細胞系列の分化過程の本質(つまりコインそのもの)を理解するためには、両者に共通する分子メカニズムを解明することが必要であるが、それに関する知見は極めて限定的であった。
筑波大学の小林悟教授のグループはovo (マウスOvol)遺伝子がショウジョウバエ(Preformation型)と哺乳類であるマウス(Epigenesis型)に共通してPGCsの初期分化に必要であることを明らかにした。著者らは以前にショウジョウバエの卵細胞にある生殖質を解析することよりovoを単離していた。ovoはZnフィンガーを含む転写因子であり、選択的スプライシングにより翻訳されるOvo-AとOvo-Bが拮抗的に働く。本研究ではOvo-Bが選択的に発現するハエの生殖細胞系列にOvo-Aを強制発現させることによりOvo-Bの機能を阻害した。緻密な発現制御技術により、時期特異的に機能阻害を行った結果、Ovo-Bが卵細胞内で母性因子として生殖細胞系列の確立に機能していることを明らかにした。Ovo-Bを機能阻害したPGCsの遺伝子発現解析の結果、Ovo-Bは生殖細胞特異的な遺伝子発現を促進する一方、体細胞特異的な遺伝子発現を抑制することが明らかとなった。興味深いことにovoのオルソログであるマウスのOvolファミリーのうち、Ovol2の欠損胚ではハエと同様にPGCsの初期分化に異常が認められた。本研究は異なるPGCsの分岐様式をもつ動物種間における共通のメカニズムの解明に貢献する貴重な成果である。(林克彦)
>> PubMed
---解説---
「長い歴史を持つ発生生物学や生殖生物学の分野における輝かしいゴールの一つは、配偶子産生のすべての過程を培養下で再現してみせることである。」これは、この論文の最初の一文であるが、この論文が持つインパクトの大きさ、さらに波及効果の大きさを最もよく表している。筆者らは、マウスの多能性細胞であるES細胞やiPS細胞から培養下で機能的な卵(受精したのちに完全な個体を作り出す能力を持っている卵)を作ることに成功した。以前に本領域の計画研究の代表・分担者である尾畑・平尾らのグループから同様の報告があったのを記憶している方も多いかもしれないが、彼らは出発点として「マウス胚の卵巣に含まれる始原生殖細胞」を選択したのに対し、著者らは前述した通り「多能性細胞」を出発点としたところが異なる。さらに筆者らは研究をより進めて、ES細胞から培養下で卵を作り、受精させ、その受精卵から発生した胚より再びES細胞を作り、そこから再び卵を作り出すことに成功した。これは、配偶子産生のすべての過程を培養下で再現し、世代交代の過程で受け継がれる配偶子産生のサイクルを培養下で再現したことに他ならない。この研究のインパクトは、子供の頃に読んだ本の中に登場した錬金術師がガラス容器の中で生命を誕生させて受け継いでいく話のインパクトに似ている。しかし明らかに異なるのは、配偶子産生のサイクルを培養下で再現することが今まさに現実になったということであり、それを基盤として多くの研究が生まれつつあるということである。この系を利用して、マウスの生殖細胞形成過程を制御する新たな遺伝子ネットワークが見出されるかもしれない、またマウスだけでなく家畜など他の動物種にも応用できるのかも大きな課題である。さらに、生殖医療へ貢献する可能性も十分に秘めている。しかしこの場合、生命倫理の面で慎重の上にも慎重を期するべきと考える。これは、配偶子産生研究の新たな扉を開いて未知なる地に踏み入れた研究者の宿命なのである。(小林悟)
>> PubMed
---解説---
卵子は、次世代を生み出すための全能性を有し、さらに次世代へと伝える母性ゲノムやミトコンドリアの運搬役でもある。このように、卵子は生物の最も根源的な性質である生殖において重要な役割を担っているにもかかわらず、哺乳動物の卵子形成機構に関しては不明な点が非常に多い。これは、卵形成が生体内においてのみ進行し、in vitroでは再現することがこれまで不可能であったためである。すなわち、卵形成というブラックボックスが、解析の手を退けていたのである。しかし、この論文の研究成果に触れ、「ブラックボックスは開けるために存在する」ということを改めて心に刻むこととなった。
始原生殖細胞のみを含むマウス胚の卵巣を、従来の方法により培養した場合には、始原生殖細胞に由来する卵母細胞が卵巣を構成している体細胞に正常に包まれない(卵胞形成不全)という異常が現れる。in vitroで卵形成を再現するためには、この障壁を乗り越えなくてはならない。そこで、筆者らは、卵胞形成不全を遺伝子発現の異常としてとらえ、そのような異常を引き起こす原因を探ったのである。答えは非常にシンプルであり、その異常な卵胞では、エストロジェンというホルモンによって活性化される遺伝子が高発現していたのである。エストロジェンは培養に使用する牛胎児血清から持ち込まれたと考えられるが、このエストロジェンの阻害剤を培養液に加えたところ、正常な卵胞の形成率が大幅に上昇したのである。その後、体細胞にきちっと包まれた卵母細胞を分離して、成長させる段階においても、コラーゲナーゼ処理を施すことや、培養液中に高分子化合物であるポリビニルピロリドンを添加するなどの工夫を行い、高効率に卵子を産生する培養系の開発に至った。卵子が機能的であることは、体外受精後に正常なマウスにまで発生することで証明された。以上の研究は、まさに、論理的な解析と、職人芸的な勘により成し遂げられたものである。卵形成を再現する培養系の開発は、当該分野の研究者の悲願であり、その開発によりもたらされる恩恵は、基礎生物学だけでなく畜産分野においても大きなインパクトを持っている。まさに、本新学術領域研究の研究における金字塔の一つと言って過言ではない。(小林悟)
>> PubMed
---解説---
始原生殖細胞が精子に分化するのか、はたまた卵子に分化するのか、という生殖系列の性を決めるメカニズムは、いまだに「藪の中」で謎に包まれている。生殖系列の性は、その形成時から厳密に決められているように思えるが、実際には複数の分子の働きのバランスが崩れることで性の決定が行われるようである。加藤譲氏らの論文では、このようなバランスをとるNanos2とDazlと呼ばれる2つのタンパク質に注目している。とやかく云うまでもなく、Nanos2は、多くの動物において、生殖系列の発生に広く関わるRNA結合タンパク質ファミリーの一員である。Nanos2はオスの生殖系列で発現し、その機能が失われるとオス分化が正常に起こらなくなる。この論文では、Nanos2は、Dazlタンパク質の産生およびその働きを抑制すること、逆にDazlは、Nanos2のこのような働きを抑えることが明らかとなった。Dazlは、メスの性分化を進めるのに必須であり、逆にオスでのみ発現する遺伝子を抑制する働きを持つ。つまり、これら2つのタンパク質のバランスが崩れ、Nanos2の発現が亢進し、Dazlの働きが制限されるに至って初めて、生殖系列はオスの運命を選択するのである。Nanos2とDazlは、ともにRNA結合タンパク質であり、いまだ解析が十分にされていないターゲットRNAが存在する。これらの機能を明らかにすることで、マウスにおける生殖系列の性決定機構の巧妙さが明らかになるとともに、他の動物との共通性を見つけることができるのかもしれない。Nanos2とDazlという細い「蜘蛛の糸」をたどって見える風景は、果たして極楽であろうか?(小林悟)
>> PubMed
---解説---
精巣は健康である限りは、そのご主人様と同様に一生働き続ける宿命にあり、多少へこむことがあったとしても、めげずに回復してひたすら精子を作り続ける。そしてこのことは、ヒトを含む生物種の繁栄に欠かせない。この精子産生の頑強性は精巣のなかに潜む精原幹細胞の維持機構が担っている。吉田松生の研究グループは過去10年あまりの研究で、この精子幹細胞の維持機構に関して新たな概念を発表してきた。精原幹細胞には分化段階が異なる細胞が存在していて、その分化が一方向的に進んで行くものと、これまでは理解されてきた。しかし、吉田等の研究によって、実は分化段階が進んだと思われた幹細胞もより未分化な幹細胞に祖先返りする能力を持っていること、分化段階が異なる幹細胞からなる細胞集団が精子を作り続ける能力を維持していることが初めて明らかになった。今回の研究では、精原幹細胞を精子への分化に向かわせる働きがあるレチノイン酸に対する反応性が、分化段階の違う2種類の幹細胞集団の間で異なっていて、分化段階が一歩進んだNGN3陽性の精原幹細胞のみが精子への分化を開始できることを明らかにした。そして、その反応性の違いが1つのチノイン酸受容体遺伝子(Rarg)の発現の有無により生み出されていることを初めて示した。このような仕掛けによって、精原幹細胞集団の一部は精子に分化することなく幹細胞として維持され続けながら、別の一部が精子に分化を起こすことが明らかになった。(松居靖久)
>> NIBBニュース
PubMed
---解説---
小林悟らの研究グループ(現筑波大学)が、ショウジョウバエを用いて昆虫の新たな脱皮制御機構を今回初めて明らかにした。ショウジョウバエをはじめとした昆虫の脱皮は、前胸腺から分泌されるステロイドホルモンの一種であるエクジソンによって誘導されること、また、そのエクジソンの分泌は、前胸腺刺激ホルモン(PTTH)とインスリン様ペプチド(Ilps)などの刺激により活性化されることがこれまでに明らかにとなっていた。前胸腺におけるエクジソンの産生の活性化には、PTTH、Ilps以外の受容体が関与していることがカイコを用いた研究から予想されていたが、その実体は不明であった。今回小林らは、モノアミンの一種であるチラミンとその受容体であるオクトパミン受容体(Octβ3R)がエクジソンの産生と脱皮を制御していることを明らかにした。オクトパミンは昆虫の脳で嗅覚学習の報酬のホルモンとして働くことが知られているが、その受容体が脱皮の制御も行っていたということは非常に画期的な発見であると考えられる。また、今回の解析では幼虫期の栄養状態がチラミンの機能に及ぼす影響についても解析がなされた。エクジソンの産生には前胸腺におけるPTTHとIlpsへの応答が必要であるが、栄養に富んだ環境で飼育した場合は、前胸腺はチラミンを分泌してPTTHとIlpsに応答し、個体は蛹へと変態する。一方、栄養が十分ない状態では、チラミンの分泌とPTTHとIlpsへの応答が起こらず、蛹に変態できないことが明らかにされた。今回小林らは、栄養摂取により幼虫が十分に成長すると、チラミンとOctβ3Rが働き、前胸腺がPTTHとIlpsへ応答できるようになり、変態が引き起こされるという新しいモデルを提唱した。これらの結果は、チラミンとOctβ3Rが幼虫期の栄養状態のセンサーとして機能しているとも解釈できる。ショウジョウバエを栄養ストレス下で飼育した場合に、何らかの栄養ストレスを感知する経路が働くことで、エクジソンの濃度が上昇し、卵形成過程での卵母細胞のアポトーシスが誘導され、産卵数が減少することが報告されている。チラミンとOctβ3Rによるエクジソン産生の制御は、ショウジョウバエの組織全般で見られる可能性があり、チラミンとOctβ3Rが卵巣においても栄養状態を感知するセンサーとして機能している可能性もある。これらの観点からも今回の発見の重要性と発展性がますます感じられる。(鎌倉昌樹)
>> NIBBニュース
PubMed
---解説---
始原生殖細胞という細胞は、とてもユニークな細胞である。生殖巣内で卵子や精子にまで分化し、これらが受精すると個体が生まれる。しかし重要なのは、この細胞が、in vivoにおいてはあくまでも“モノポテント”な細胞であり、最終的には配偶子にしか分化できない細胞だという点である。松居らは、1992年にマウスの始原生殖細胞をin vitroにおいてSteel factor, LIF, bFGF存在下で培養すると、これらの細胞が脱分化し、EG細胞と呼ばれる多能性幹細胞へと分化することを報告した(Matsui et al., Cell 70 841-847, 1992)。これは多くの生殖細胞研究者に衝撃を与えた研究であるが、この度、松居らがAKTを活性化することで始原生殖細胞の大部分が極めて効率よく多能性幹細胞へと分化することを明らかにした。これらの細胞は、マウス胚へと移植するとES細胞と同じくキメラマウスを形成し、次世代で移植細胞由来のマウスも生み出す能力を持っている。この研究は、いうまでもなく生殖細胞と多能性幹細胞の分岐を理解するうえで非常に重要な発見であるが、それと同時に動物生産の分野にも大きなインパクトを与えること必至である。マウス以外の動物ではナイーブなES細胞やiPS細胞を作ることは未だに容易ではない。今回の研究は、これらに代わる新たな方法論を提供したといえよう。EG細胞の論文以来、生殖細胞研究者のヒーローである松居靖久が、なんと筆頭著者で執筆した論文である。これがヒーローがヒーローたる所以であろうか。
(吉崎悟朗)
>> 東北大学大学院生命科学研究科 研究成果
PubMed
---解説---
小川毅彦らの研究グループ(横浜市立大)が、未熟な生殖細胞しか持たない幼若個体の精巣を凍らせて保存する技術を開発した。小川らは2011年、未熟な精巣を器官培養して受精可能な精子にまで成熟させることに成功している(Sato et al., Nature 2011)。今回は、その途中で組織を凍結保存することを可能にしたという。そう、それだけなのである。一体、何がすごいのか?
この研究は、Natureの研究成果を、本当に役に立つ技術へと大きく近づけたのだ。小川は精子形成の研究者であるとともに、いやそれ以前に、男性不妊の患者さんを診ながら治療法を模索している泌尿器科医である。不幸にして癌に侵されてしまった男の子にとって、抗がん剤や化学療法の前に精巣組織を凍結保存、将来精子へと成熟させることで子供を抱ける可能性を開いたのだ。大切なことが何か、それを知っている小川にしか出来ない大変に有意義な研究である。(吉田松生) >> 横浜市立大学 研究成果
PubMed
---解説---
50年間君臨し続けた一つの仮説がある。Asモデルと呼ばれているその仮説は、精子幹細胞とその娘細胞たちの動態の本質を見事に掴んでおり、揺るぎないものと誰もが思っていた。しかし2007年、そのAs仮説に合致しない実験データが報告された。吉田らの論文(Nakagawa et al. Developmenal Cell, 2007)である。この論文が衝撃的だったのは、Asモデルにおいては永遠に存在し続けるはずの個々の精子幹細胞が、実はそうではなく、むしろ多くは消えさり、一方でテリトリーを拡大していくものがあるという事実の発見だった。Asモデルを根底から否定するこの発見に、当時は専門家の間で賛否両論の議論が沸き起こった。それから7年、ついに吉田らは、今回の論文でAsモデルに代わる新しいモデルを提唱した。仮説やモデルと言われるものは、現象の詳細な観察に基づいて構築される。だが、観察行為が仮説の構築へと結晶化するためには、説明しがたい非凡な何かが必要なのではないだろうか。筆頭著者の原くんは、延べ8,000時間(寝食なしの約1年間)にわたってGFR-α1陽性の精子幹細胞たちを観察し続けたという。細胞たちの挙動を観察し続け、思案を重ねるごとに深まっていった彼らへの理解が、この仕事の真髄だと吉田さんは言う。さらに驚かされるのが、二つのパラメーター(増殖頻度と断片化頻度)ですべてを説明できるという結論のシンプルさだ。これは理論物理学者Benさんの卓越した洞察力の成せる業だったという。羨むばかりの見事なコラボレーションである。まだ名前もつけられていないこの新しいモデルがAsモデルに取って代わる日はいつになるのだろうか。このモデルが内包する意義は、幹細胞生物学全般にどのように影響してゆくのだろうか。そして、吉田らはどのような発展を今後に目論んでいるのだろうか。興味は尽きない。(小川毅彦) >> NIBB ニュース
PubMed