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パプア・ワイゲオ島の調査(2008年4月-5月)その12008/12/25

 2008年4月16日から5月7日まで、ほぼ4年ぶりに海外学術調査に参加してきました。今回の調査地はインドネシア・パプアのRaja Ampat群島です。

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 いつものことながら、今回の調査はインドネシア科学院の要請によるものでした。パプアのニューギニア島(世界第2位の大きさの島です)の西端は、いわゆる鳥の顔のような形をしています。その顔の先に、Raja Ampat群島はあります。ここは海の透明度が世界一とも言われ、今回私たちも経験したように、アクセスが大変なことから、自然が良く残されています。ダイバーの間では、知る人ぞ知るダイビングスポットとして、かなりの人気もあるようです。しかし最近、この地域ではニッケルの有望な鉱山が見つかるなどして、開発の計画も持ち上がってきました。これに危機感を抱いたインドネシア科学院が、この地域を国立公園に指定すべく、2007年から2009年にかけて、基礎調査をすることになったというわけです。

 この調査には、インドネシア科学院もかなりしっかりした支援体制を組んで、国際的に協力をかなり広く呼びかけたようで、今回私たちが参加した調査隊は、インドネシア本国はもとより、フランスからも魚や昆虫(特にイチジクの訪花昆虫として知られるイチジクコバチの仲間)などの専門家が加わり、総勢30名もの大調査隊となりました。日本からは、私と大阪市立大学附属植物園の園長・岡田博教授の2名が参加しました。二人とも、植物担当です。

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Raja Ampat群島のWaigeo島

 さてまずはRaja Ampatについてもう少しご紹介しましょう。古くは(ダーウィンに進化論の発表を急がせた)ウォーレスが調査に訪れたことのある群島です。中でも一番大きな島は、今回私たちが本隊から分かれて向かったWaigeo島です。Waigeo島は淡路島程度の大きさの島です。このWaigeo島がとても奇妙な形をしているため、付近の潮の流れは大変複雑で、ウォーレスはかなり悲惨な目に遭っています。そのへんは『マレー諸島』をご覧下さい。地図を見ると分かるように、Waigeo島はまるで2つの島でできているかのような形をしていて、真ん中に非常に深く入り込んだ湾を持っています。湾は辛うじて島の北端で終わっているという次第。しかも湾の入り口が非常に狭いので、潮の満ち引きに応じて大きな海流が生じるというわけです。私たちが最初、島での拠点としたWarsamdinという集落は、ちょうどその湾の入り口をはいったところにあって、朝夕、目の前を流れる雄大な海流を眺めることができました。小さな船着き場の足下には、美しいソフトコーラルがたくさん生えています。

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 こんなWaigeo島ですが、今回、危うく私たちは調査に行きそびれるところでした。というのも、ここがパプアの領域だからです。隣国にあたるパプアニューギニアがニューギニア島の東半分として独立したのは、ほんの最近、1975年です。しかもインドネシア領側も、独立主張運動があり、パプア州という形になったのは2002年のことです。政治的にこれだけ微妙な地域だと、外国人の立ち入りは容易ではありません。

 実際、いつものようにインドネシア科学院を通して調査ビザを半年以上前に申請していたにもかかわらず、調査の日が近づいてもいっこうにビザがおりません。しびれを切らせて、インドネシア科学院を通じて催促をした結果、ようやく出発の1週間前に、ビザが下りたという通知が来て、喜んで在日大使館に出頭しました。ところがです。書類を揃えて窓口に出してみると、「パプア?ちょっと待って。パプアじゃ、ビザ、出せないよ」。
 一瞬、呆然としましたが、確認をして食い下がってみると、「パプアの場合は、インドネシア軍の許可書がないと、ビザを出せません」とのこと。
 普通の調査ビザでも、申請から交付まで半年かかるのに、軍の許可など、おいそれと出るはずがありません。「軍?軍と言っても・・・」と粘ってみると、
 「これはインドネシア科学院からの書類でしょ。パプアの調査の場合は、軍の許可が要ることは知っているはずだし、軍の許可がないと、調査ビザも出ないはずだから、向こうに聞いて、軍の許可が出たという証拠を送ってもらってください。それを見せてくれたら、調査ビザをあげます」。
 送ってもらってくださいと言われても、本当にそんなものが出ているかどうか分かりません。しかも郵送では間に合いません。ファックスでも良いのか、と聞くと、それで良いとのこと。慌てて関係者にメールを出し始めました。同行の岡田先生もびっくりです。二人で、考えられるだけの依頼を方々に出しました。
 ところが・・・やはりというべきでしょうか、インドネシア科学院からの返事はこうでした。「軍の許可は出ていない」。さあどうしたらいいのでしょう。この顛末の続きは、また後日に。

(2008年12月25日)

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コンテンツ

  1. 岡崎の植物(53)
  2. 植物学者 塚谷裕一の調査旅行記(9)
著者紹介
塚谷 裕一
東京大学大学院理学系研究科 教授
元 基礎生物学研究所 客員教授
塚谷 裕一

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