フィールド

ボルネオ島中央カリマンタンの調査(2004年12月-2005年1月)2005/01/18

 2004年12月頭から2005年正月明けまで行っておりましたボルネオ島でのフィールド調査から無事帰国いたしました。遅ればせながら御報告申し上げます。調査地はボルネオ島でしたので、例のスマトラ島沖地震の影響は皆無で、ジャカルタを中心とした空路も乱れず、予定通り帰国できた次第です。

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ボルネオの熱帯雨林。水上飛行機から撮影。

 今回の調査地はインドネシア領中央カリマンタンの奥地でした。そのため、地震当日はテレビも何もないところにおり、同じ国の中で、あれ程の大規模な災害が起きていたことは、実は私達の周りの誰一人として気付かなかったのでした。何しろ今度の山域は、ほぼ赤道直下の熱帯多雨林で、世界中をくまなく網羅する米軍の地図ですら、等高線が異様にラフに描かれている地域。正確な地形図が手に入らない文字どおりの秘境でした。世界中が大騒ぎになっていることはおろか、私自身の安否の確認をとろうとしている人たちがいることなど、つゆ知らなかったという次第です。どうも御心配をおかけしました。

 さて、なぜそのような土地への調査を行なったかと申しますと、その背景として、現在、インドネシア政府は、今回の地域をユネスコの世界自然遺産へ登録しようと計画しているのです。ボルネオの熱帯林は、生物の多様性が地球上で最も高い地域の1つと目されている地域です。中でも今回の調査エリアは、特殊な地形を含め、貴重な自然環境がまだ多く残されていると期待されています。しかし何ぶんアクセスが困難なことから、これまで十分な調査がなされてきませんでした。そのため、ユネスコに世界自然遺産登録を申請しようにも、基礎資料にも事欠くのが現状です。そこでインドネシア科学院では、昨年を中心に、自力で調査をすると共に、世界各国の研究者に協力を呼び掛けてきました。

 今回の調査は、そのインドネシア科学院の要請を受け、大阪市立大学の岡田博教授を代表とする5人の調査メンバーを結成し、三菱財団の助成を得て行なったものです。まず何よりも現地に近付くのが容易ではありません。空路ジャワ島からボルネオ・中央カリマンタン州の州都へ飛び、さらに奥地へ小型機に乗り換え、一番奥の村までキリスト教の宣教活動用の水上飛行機(4人乗り)をチャーターし、そこから村のボートで川を遡りつめ、いよいよ徒歩で目的地に入ったのですが・・・。

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丸太でできた階段(?)をこわごわ降りる。

 昼間は雨と汗と泥でびしょびしょになりながら植物を採集。その日のキャンプサイトに着いてからは、近くの濁流につかって汗を流し、夜は樹の枝を組んでビニールシートをかぶせた小屋に入って就寝。そうやって先を急ぐ私たちに、雨季の訪れを告げる連日の大雨、腰の高さを越える川の増水、ヒルやヌカカが襲います。私達の心配は、次第に、予定期間内に麓に帰りつけるかというものとなっていくのでした。徒歩できないほど増水した川をどうやって渡るのか・・・。

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増水した激流の川を、即席の筏で対岸に渡る。ダヤック族の面目躍如。

 ちなみに新種はかなり見つかった模様で、ショウガ科から少なくとも3種、サトイモ科から1種、ヒナノシャクジョウ科からも1種の新種が出る見込みです。

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アリ植物の一種。茎に蟻が住む。

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Piptospatha属の新種らしき植物。

(2005年1月18日)

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コンテンツ

  1. 岡崎の植物(53)
  2. 植物学者 塚谷裕一の調査旅行記(9)
著者紹介
塚谷 裕一
東京大学大学院理学系研究科 教授
元 基礎生物学研究所 客員教授
塚谷 裕一

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