研究概要

mRNA輸送・局所的翻訳システムによる神経ネットワーク制御

DNA→mRNA→タンパク質という遺伝子発現は生命活動の根幹ですが、ニューロンではこの遺伝子発現の重要な一部が局所的に制御されています。ニューロンには核が存在する細胞体と、そこから長く伸びた神経突起があり、突起どうしがシナプスを介して繋がることによって神経ネットワークを形成しています。一部の重要なmRNAは神経突起へ輸送され、シナプスで局所的にタンパク質へと翻訳されています。しかも、神経活動信号が頻繁に通るシナプスでのみ翻訳が活性化し、翻訳されたタンパク質がそのシナプスを強化することによって、頻繁に使う神経回路を選択的に強化しているのです。私たちはどのような種類のmRNA がどのようなメカニズムで輸送されて局所的にタンパク質へと翻訳されているかを明らかにするとともに、それが神経ネットワーク形成、さらには記憶や学習などにどのような役割を果たすかについて、マウスを使って研究をおこなっています。

神経突起には、興奮を伝える側の軸索と受ける側の樹状突起の2種類があり、それらがシナプスによってつながっています。樹状突起には、RNA顆粒という巨大複合体によってmRNAが運ばれ、軸索側から伝えられた興奮に応答して局所的なタンパク質合成のスイッチがONになります。興奮が起こらないシナプスにもmRNAは運ばれていますが、そこからのタンパク質合成をONにするスイッチが入らないまま保たれています(図1)。

神経細胞の局所的タンパク質合成の模式図 図1.神経細胞の局所的タンパク質合成の模式図

興奮刺激が伝えられたシナプス後部(樹状突起側のシナプス)付近で、RNA粒子からの局所的タンパク質合成がONになる。合成されたタンパク質は、シナプスの強化や神経細胞の防御のために利用されると考えられている。

私たちはRNA顆粒の構成成分として、RNG105という新しいRNA結合タンパク質を発見しました (Shiina et al., J. Neurosci., 2005)。これまでの研究によって、RNG105が樹状突起へのmRNAの輸送に関わることや、神経シナプス・ネットワークの形成に関わることを明らかにしました (Shiina et al., J. Neurosci., 2010)(図2)。また、シナプス興奮時には樹状突起にナトリウムやカルシウムイオンが流入し、それが活性酸素の発生を促進します。このような変化はニューロンにとって死に至る危険を伴いますが、RNG105を介したmRNA輸送・局所的タンパク質合成は、この危険からニューロンを防御するための役割も担うことが示唆されました (Shiina et al., J. Neurosci., 2010)。

マウス神経培養細胞 図2.マウス神経培養細胞

神経突起どうしがつながって神経ネットワークを形成している(左)。右の写真は局所的タンパク質合成に関わる因子の一つ(RNG105)の働きを抑えた結果、神経ネットワークが貧弱になったもの。バーは100μm。

私たちは現在、RNG105を手がかりにして関連分子群を同定し、mRNA輸送・局所的タンパク質合成の分子メカニズムひいては記憶や学習などにどのような役割を果たすかについて、マウスを用いて研究をおこなっています。また、RNA顆粒の異常と神経変性疾患との関連についても研究を進めています。

長期記憶に不可欠な分子RNG105 -
ニューロンでのタンパク質合成と長期記憶形成をつなぐ仕組み

RNA顆粒の構成因子であるRNG105が、ニューロンにおけるmRNA局在制御を介して長期記憶の形成に重要な役割を果たすことを明らかにしました (Nakayama & Ohashi et al., 2017)。詳しくはacademist Journalの研究コラム (2017.12.13) で紹介しています。

液-液相分離がもたらす神経機能の分子メカニズム

液-液相分離と呼ばれる現象は、密度の異なる水溶液同士が分離して液滴を形成する現象で、物理化学的にはよく知られています。イメージしやすい例としては、サラダドレッシングを激しく振っても、完全に混ざり合わずに液中に油滴が残っている状態です。近年、この液-液相分離が細胞の中でも起こり、膜がなくても”区画化”が起こることが明らかにされています。

生体内で起こる液-液相分離の代表例として挙げられるのが、私たちの研究室で長年研究している「RNA顆粒」です (図3)。この構造体はRNA結合タンパク質やmRNA, リボソームなどを含んでおり、ニューロンや生殖細胞、ストレスを受けた細胞などに存在することが知られています。

私たちの研究室では、特にニューロンにおけるRNA顆粒の機能に着目しています。ニューロンのRNA顆粒は翻訳制御や長期記憶に重要な役割を果たしますが、一方で、RNA顆粒が異常に凝集すると筋萎縮性側索硬化症 (ALS) や認知症を引き起こしてしまいます (図4)。そのようなリスクを抱えながらも、RNA顆粒を形成することでニューロンならではの機能を発揮することを生物は選択してきたと考えられます。

RNA顆粒の形成における原動力となっているのが天然変性タンパク質です。このタイプのタンパク質は、特定の三次元構造をとらずフラフラした領域を持つのが特徴で、この領域同士が弱く相互作用することで液-液相分離を起こすことが知られています。しかし、種々の天然変性タンパク質がRNA顆粒を形成するメカニズムは明らかにされていない点が多く、また形成されたRNA顆粒がどのような性質や動態を示し、生命現象をもたらすのか、未解明の問題が山積みです。

私たちは近年、RNA顆粒を構成するタンパク質には固相(流動性の低い部分)を形成するものと液相(流動性が高い部分)を形成するものとが存在し、そのバランスによってRNA顆粒の性質や翻訳活性が制御されていることを明らかにしました (Shiina, J. Biol. Chem., 2019)。現在、様々な天然変性タンパク質群に着目し、ニューロンにおいてそれらが形成するRNA顆粒の性質や動態、さらに学習や記憶といった高次脳機能との関わりの解明を目指して研究を行っています。

ラボツアー椎名研究室