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パプア・ワイゲオ島の調査(2008年4月-5月)その32009/12/09

 20個だけ来た荷物。残りは60個である。先に私たちは空港を離れ、ホテルへと向かった。

 ここSorongでもいろいろな手続きが必要である。書類をホテルでコピーしてもらう。それと共に、いよいよここから先はWaigeo組とBatanta組に分かれることになるので、それぞれで準備をしなくてはならない。一緒に行ってくれる研究者のAlexさんとアシスタントのHapidさんを交え、必要な物資の量、ポーターの数などを考えてみる。その相談の途中で、Alexさんが、「HaiというのはYesの意味ですね」と聞いてきた。どうも私たちの会話を聞いていて、察したらしい。その通りと答えると、「ではNoは?」とAlexさんが聞くので、つい声を揃えて「いーえ!」と答えてしまった。実は岡田先生の口癖が「いーえ」なのである。Alexさんは日本人二人がいきなり声を揃えて答えたのに、面食らったに違いない。

 そうこうしているうちに、このSorongからWaigeoへと私たちを連れて行ってくれる予定の船頭さんがやってきた。定期航路はないに等しく、しかも私たちが根城にしたい村にはチャーター船しか行かない。明日朝8時に船で出発し、5/4の朝に迎えに来てくれると決まった。料金はなんと、ジャカルタからここSorongまでの航空運賃と一緒である。隔絶された世界なのが金銭面でもあきらかとなった。

 いよいよ明日という感じだが、まだ準備は進んでいない。森林局からの書類が得られていないし、買い出しもまだだ。雨が降ってきたと思ったら大雨である。これから雨季だ。昼を食べ、午後からホテルの隣にある大型スーパーで買い出しを行なった。まず思いつく範囲で買い込み、百六十万ルピアに達する。その間に、残った荷物が空港に着いたという電話がかかった。今回は何から何まで綱渡り的だ。荷物が届くまでやることがなくなったので、ホテルでマンディ(水浴び)をと思ったら、お湯が出ない。ずっとずっとお湯を出してみたら、最後にはやっと人肌程度にはなったが、湯にはついにならなかった。Waigeo島渡航前の熱い風呂は、ここではもう無理なようだ。マンディからあがって岡田先生と、これは多分本当にWaigeo前最後のビールを飲みながら荷物の到着を待っていると、調査の許可の条件として、ここの森林局の役人が一人、お目付役として同行することが必要、という知らせがやってきた。慌てて一人分の食糧を買い足すことにする。Waigeoではなにも買えないと思われるから、ここで買っておかないとならない。米が全部で90キロ。これだけでも相当の大荷物である。

 そんなこんなで、いろいろ場当たり的なところもあったが、ナントカ明日朝には現地入りすることが現実のものとなったので、夕方、蟹を食べに出た。東南アジアの港町での楽しみの一つは、マングローブガニを食べることである。屋台街に行き、一番はやっている店に入った。店は数人の若者、多分十代のものばかりで切り盛りしている店だったが、活気があり、手慣れていて、包丁さばきも鮮やか、魚も蟹も空芯菜もそれぞれおいしい店だった。ホテルに戻り、最終荷造りをすると、夜中、また大雨となる。現地はどうなることだろう。

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マングローブガニ

* * * * * * * *

 翌朝。眠くて力が入らない。岡田先生も「二日酔いじゃないかってくらい眠い」という。インドネシア入りして8日目。疲れがいったん出てきているのだろうか。朝食を取り、出陣を待つ。大部隊のBatanta隊が先に出発。続いて私たちも出発。小雨。港はかなり規模が大きい。私たちの船に、私たち自身の荷物と、昨日買い込んだ大量の食糧その他を積み込んでもらう。9時出発。正確な地図のない目的地だけに、GPSで航路を記録する。時速は平均10キロ前後である。波は静か。小雨。次第に島影が広がり、思ったより平らで広い島だと実感する。ちょうど正午過ぎに目的地・WaigeoはWarssamdinに着岸した。

 のどかな集落である。海辺に突きだした高床式の家が、岸に並んでいるだけの村だ。村のあったあたりはマングローブ林だったらしく、高木になるすらりとした樹種からなるマングローブの残骸が見られる。目を凝らすと、上の方にアリ植物のアリノスダマが着生していた。

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Warssamdinの集落

 まずは島の役所へ、と思ったが、船着き場からちょっと上がった丘の上のそこには、人っ子一人いない。鍵がかかっている。どうやら、たくさん用意した書類の提出先はないようだ。あまりに隔絶されているので、役人も島を出てしまっているらしい。

 村の人に、事前に地図などで目標としていた村について聞いてみると、たとえばNartabuという村は、もうないという。その村の住民は皆山から下りてしまい、その半分はいなくなってしまい、残りの半分がここのWarssamdinをつくったという。さっそく、事前調査の情報は意味がなくなった。Warssamdinは小さい集落に見えるが、78人ほどいて、KIOSKもある(あとでみたら、小さな民家が雑貨をちょっと置いているだけだったが)という。そしてこの役所は、誰も使っていないので、ここを宿にすればいいと、鍵を開けてくれた。まずは仕方ないので、昼ご飯とする。昼食後、村人たちが船頭さんとともに私たちの大量の荷物を、この私たちの宿と化した役所に持ってきてくれた。それらを適当に配置して、あたりを散歩してみる。変わったソテツが生えている。パプア型のデンドロビウムが咲いている。船着き場に行ってみれば潮が引いていて、なんと黄色、赤、白の3色それぞれの色をしたシオマネキがハサミを振っている。集落を抜け、奥の深めの船着き場を覗けば、これはいかに、ソフトコーラルが大群落を為している。立ち泳ぎ程度の深さの岸辺にである。すごいところだ。目の前の森を、オウムがうるさく鳴きながら行き交う。

 赤道近いので、18:45には真っ暗となる。まだ暑さに身が慣れておらず、すぐ汗をかいてしまう。しかもコンクリでできた役所の建物は、本来のこのあたりの建築と全く違うので、中にいると暑い。しかもマラリアを警戒して蚊帳を吊っているので、風通しの悪いことこの上なし。近くの湿地に棲んでいるらしい蛙が鳴き出し、ガンガンガンガガン、ガンガンとリズムを刻むので、耳について寝苦しい。明日はいよいよ森に入るのだと思うと、体力を温存しないといけない気がして、ちょっと焦ったがやがて眠りに落ちた。

* * * * * * * *

 翌朝、朝食後、宿の裏の細い船着き場から出発。まず荷物を船で渡す。WarssamdinはWaigeo島の中心をほとんど突き抜けんばかりの特異な太く長い入り江の入り口にあり、私たちの目的地のDanai山は、その入り江の対岸のさらに奥にある。船は一艘だし往復に1時間かかるので、なかなか埒があかない。ようやく私たちが入り江の反対側に上陸できたのは、10:37になってからだった。河原である。村から雇った男たちがそれぞれに私たちの荷物を背にして、歩き出す。しばらくはこの河原を行くのだと思って安心していたら、あっという間に徒渉点に来てしまった。川を横切らないと先に進めない。初日の初っぱなから靴がずぶ濡れとなった。川の右岸は崖になっていて、その稜線はヤシの木で縁取られている。Hidriastele costataという種らしい。昨日、Waigeo島に船で近づいて行くにつれ、何だか島の山が点線で囲まれているかのように見えて、何度か目を疑ったのは、山の稜線がヤシの木で占有されているからだったのである。茎が細くて先の方に葉の茂みがあるヤシの樹形は、遠くから見ると点に見えるのだ。それが列をなしているので、稜線に、宙に浮いた点線があるかのように見えるのである。

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点線の稜線

 徒渉は続く。ときどき、胸の深さほどの徒渉まで出てきた。流れがゆるいところだからいいが、これで流れが強かったら、絶対にわたれない。雨季が進んだとき、ここは帰りに通れるのだろうかと脳裏を心配がかすめるが、すぐに忘れることにする。後のことは誰にも分からない。以前のカリマンタン・ムラー調査のときもそうだった。

 そうこうするうちに午後13:30、広い河原に達し、ここを本日のキャンプ地とすることになった。さっそく、村人たちが周りの森から適当な太さの木を切り出してきて、テント小屋を作り始める。いつ見ていても、これは不思議な光景だ。河原の石は丸く大きく、私たちの腕力では、柱を突き立てるのはかなり難しい。ところが彼らは、難なく身の丈より長い木の棒を、ずん、と突き立ててみせる。それを3本一直線に、等間隔に突き立てると、その間に梁に当たる木の棒をくくりつける。縛る道具は、繊維の強い木の皮の靱だ。ちょっとでも柱に当たる木がぐらついていたら、こんな構造は成立するはずがないのだが、なぜかびくともしない。よほどしっかり深く、柱が河原にまっすぐに突き刺さっているのである。すごい腕力だ。しかもこの梁の上に、大型のブルーシート(6x8メートル)を渡すので、かなりの重量がかかる。さらにこのブルーシートの四隅を、短い柱にくくりつけてピンと張るのだから、なぜこの横に倒した三角柱型のテントが、ぐらつきもしないのかは、本当に不思議である。テント完成は15:25。うまいことに、雨は15:36から降り出した。以後、雨は2時か3時過ぎには毎日降ることが確認されることになる。

 テント場の目の前には、ゆったりと流れる深い川がある。その対岸に、コウトウシランの仲間が咲いていた。川でマンディしたついでに、対岸に泳いで渡り、岡田先生の協力のもと崖を登って採集したのは良いが、さて困った。テント場に戻るには、泳いで渡るしかないが、植物を持ったままは泳げない。植物を持った片手を宙に挙げて、壊れないように注意しつつ泳ぎだしてみて、思ったよりはるかに大変なのに気がついた。水を飲みそうになって、それどころか溺れる寸前のところで、やっと対岸にたどり着いた。植物を採集するのは大変なことである。

 採集した種類は、日本や東南アジアに広く分布するコウトウシランの近縁種で、それとちがって花だけでなく花を抱く苞葉もピンク色に色づく種類、Spathoglottis bulbosaであった。

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Spathoglottis bulbosa

 夜、村人やHapidさんが作ってくれた食事を食べながら、村の人たちから話を聞いてみた。曰く、
・Danai山は昔ベルギー人チームが登頂を試みたが、失敗した。
・崖が険しく、水が得られないのでルートがとれない。
・昔ヘリコプターを使ってWaisaiの人がてっぺんに行ったことがあるが、てっぺんに木はなかった。村から頂上まで1週間はかかると思う。

 さてどうなることやら。その途中にあるというKali Bambuをまずは目指すと言うことだけ決めて、寝ることにした。雨は降ったり止んだりしている。ブルーシートのテントにみんなかたまっていて狭い。他に個人テントを2張り張ってあるのだが、誰も使わないのだ。ブルーシートの方は開け放しなので涼しいが、テントは暑いからみんな嫌なのだろう。8時就寝。蚊はわずか。人里が近くにないからだろう。

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キャンプ 簡素だがかなり快適

(2009年12月9日)

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コンテンツ

  1. 岡崎の植物(53)
  2. 植物学者 塚谷裕一の調査旅行記(9)
著者紹介
塚谷 裕一
東京大学大学院理学系研究科 教授
元 基礎生物学研究所 客員教授
塚谷 裕一

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